青木幹晴

豊田生産コンサルティング株式会社代表取締役社長◎略歴 昭和30年(1955) 愛知県豊橋市生まれ 昭和53年(1978) 早稲田大学商学部卒業トヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車)入社 平成16年(2004) トヨタの基幹職チャレンジ・キャリヤ制度(他社への転出支援制度)によりトヨタを退職(退職時資格は課長級) オーエスジー株式会社オーエスジープロダクションシステム推進本部副本部長就任 消耗性工具(ドリル・タップ・エンドミル)専門メーカーで自動車関連以外の業種の現場改善活動に従事。 平成19年(2007) 豊田生産コンサルティング株式会社設立◎トヨタでの職歴(26年)人事部人事課海外関係人事 3年/財務部経理課輸出入経理、国内債権債務管理 3年/本社工場工務部原価グループ鍛造工場能率・製造予算管理、工場棚卸総括 3年/本社工場工務部生産管理室車体・塗装・組立工場生産管理 4年/米州事業部原価企画グループ北米事業体原価管理、北米生産車原価企画 3年/田原工場工務部原価グループ成形工場能率・製造予算管理、トヨタ生産方式部課長自主研 2年/田原工場工務部生産管理室エンジン・鋳物工場生産管理、トヨタ生産方式部課長自主研 8年◎本社部門(人事・財務・原価企画)9年、工場部門(本社工場・田原工場)17年と本社機能、工場機能のそれぞれを幅広く経験。特に工場では生産管理と原価管理という「石垣」づくりとトヨタ生産方式自主研メンバーとして「天守閣」づくりの両方に長年従事。

トヨタへ入社してまず面食らったのは「トヨタ式問題解決手法」で会社全体が動いていたことだ。 配属されてすぐに「問題解決をせよ。半年後に役員の前で発表だぞ」。 職場先輩の指導の下、テーマが与えられてデータ収集や分析など矢継ぎ...

豊田佐吉翁は御母堂が日がな一日機織をしているのを見て、「なんとかこのような労働から開放させることはできないだろうか」と思い、自動織機の開発に着手された。 その結果、佐吉翁は自動化させることに成功した。 しかしこの自動織機...

「5W1H」というのがある。 この手法は疑問を持って幅広く問う場合に使われる。   Why(なぜ:必要性の追求) What(なに:対象物) Where(どこ:場所) When(いつ:時期) Who(だれ:人) ...

トヨタはトヨタマンに対して一番最初に問題の発見を要求する。 トヨタは既に磐石な地盤の上に堅牢な石垣を積み上げ、その上に素晴らしい天守閣を築き上げている。 それにより世界一になろうとしている。しかしそのお城も時代の進行とと...

自動車の値打ちを造り出しているのは、自動車の製造に直接従事している人たちである。 間接的にしか商品の値打ちに結びつかない管理・間接部門には、人に食べさせてもらっている居候が多くいる。 意識的に居候作業・居候業務を見つけ出...

トヨタ生産方式が始まって60年が経過した。 私はその創始から30年たってトヨタに入社した。 それからさらに30年が経過した。   この30年の工場の変化についてはすべて私の脳裏に鮮明に残っている。 この30年は...

工程の進化は次の段階を踏む。   ①手動機械 ロット生産  1人1台持ち ②手動機械 1個流し生産 1人1台持ち ③自動機械 1個流し生産 1人1台持ち ④自「働」機械 1人多台持ち 機械間も自動搬送 &nbs...

今、中国の日系企業の組立ライン構築を進めている。 トヨタのラインをイメージして、そこに1つでも近づけることは何でもする。 今回、台車作成等、進度通り進めていてくれたため、最終方向が固まった。   ①平準化仕掛け...

トヨタには創意工夫提案制度がある。 トヨタに入社し、実習中にも提案させられた。まだ実務もやってないのに、ムリだと思ったが、何でもいいから出せという。 当時はRV系の背の高い車がなかったので、そのようなことを提案したように...

トヨタは1ヶ月単位で生産量を変動させる。 逆に言うと、1ヶ月間は日当り生産台数は同じだ。 したがって、1ヶ月間は同じ要員を配置しておけばいい。   例えば翌月、生産量が半減すれば、半分の要員を他ライン(場合によ...

高校の同級生で、京都大学経済学部を卒業し、三菱商事に入社したK君が、若い頃言っていた。 「三菱商事だからカッコいいと思って入ったが、商社なんて実に厳しい。仕入れる場合はメーカーさんに頭を下げてなるべく安く仕入れさせてもら...

トヨタ生産方式の大前提は「平準化」生産だ。 トヨタの工場を見学に行かれた方は、組立ラインの上をいろいろな種類の車がバラバラな順番に流れていることに気づかれたと思う。 最終工程である組立ラインをこのように流すことによって、...