相 撲

相 撲

2010年現在、相撲業界は賭博問題で対策に集中している。

問題の部屋はともかく、相撲は日本文化を伝える伝統技術のひとつである。このため、真剣に取り組む相撲部屋に学ぶ点は多い。

以下はその例である。

(1)相撲の歴史と人材育成

本年の1月、激しい横綱戦の基、貴ノ花が優勝した。相撲は真剣で多くの学ぶ点がある。

以下に人材育成の内容をまとめてみることにする。

 

日本の国技として相撲は、海外を含め、多くの方々の関心の的である。

相撲は日本古来のものであるが、よく調べると、各国、各部族に多くの相撲の形態が存在する。

蒙古相撲が比較的に有名であるが、寒川恒夫編著『相撲の人間学』(大修館書店)によると、これ以外にも各国の相撲の状況が詳しく示されている。

 

例えば、フィリピン、アイスランドの民族格闘技、スイスのシュビンゲン、イランの相撲、中国朝鮮族、スマトラ島やインドネシア・ボルネオ島など、男性だけでなく、女性同士が戦う相撲の形態(南米カマユラ族)もある。

但し、形態は似ていても、日本の相撲とは大きく異なるものもあることがわかる。

各国で生まれた相撲の起源もあまりよく分かっていないようである。一般に宗教的な内容と関係がありそうな内容も記載されていた。

 

相撲は日本だけのもの、と思ってはいけないようである。日本における相撲は、日本人の生活文化、企業の管理・改善にも多くの影響を与えている。

ここで、日本の相撲の内容を解析し、日本的企業マネジメントの題材にしたいと考える。

相撲の場合の話題性の多くは、気力、体力に技である。相撲が面白い点は大きな者が必ず勝てるということではない点である。

 

相撲には西洋のスポーツのようなウエイト制はない。柔道でいうと無差別で戦うのが特徴である。

このことは、大企業が小企業と競争する状況に似ている。大企業必ずしも強い! という状況ではないからである。

中身の良否が問題となる例は多々ある。昔、小錦関と千代ノ富士関の比較がよく話された時代があった。この当時、小錦関は横綱に迫る勢いだった。しかし、小錦関は負けることが多かった。

 

私は、ある時、NHKが、お二人の関取を分析する放送を見たが、小錦関は200kgを支える足の力が230kgであったのに対して、千代ノ富士関は240kgの脚力を持っているという内容だった。

この事は、外見より中身を定量的に分析してみないといけない! と企業関係者に促す内容であったように思う。

この時、小錦関に「体重を減らし、足腰の強化をしなさい!」とスポーツ・ドクターが注意されていた。

 

話は変わるが、この当時、米国のK社を始め大きな自動車会社が赤字で日本タタキのまっ最中だった。

日本の企業との比較はもとより、欧米の中小自動車優良企業と、米国の大手企業とを対比して、悩める企業の差異をこの相撲取り二人の対比で議論する例が多々あった。

筋肉を鍛え、技と共に勝ち数を伸ばすか? 大きさを誇り、その圧力で相手を威圧するか? といった内容であったように記憶する。これも相撲と企業を比較した一例である。

 

このような話を聞くにつけ、私も強い相撲取りがどのような稽古をして心技体を強化しているのか? を学ぶことにした。

以下、学んだ点を講演会などの話や、テレビのインタビューなどの内容をメモに取り、企業の体質強化と共にまとめることにした。

では、ある講演会でS親方(横綱経験者、現在多くの弟子を持つ親方の一人)が、勝負の世界をテーマに討論された講演の内容を参考に、相撲文化の一端を示すことにする。

 

「今、脚光を浴びている若手のTさんがいますが、彼は血統書付きの家柄です(若・貴兄弟)。

彼が強い理由は稽古の量と、正しい理論にもとづく内容の正しさが大きく作用しています。加えて、相撲一家ですから子供のときからドップリです。

それに、彼は相撲が好きです。文字どおり『絶えず、頭のてっぺんから、足の爪先まで鍛え上げている』から強いわけです。今時めずらしい教育の例といえるでしょう。そうでないと、ああ速くは三役にはなれません。環境と気合をまわりから浴びて育ってきたわけですから、それはすごいものです。

 

これに対して、海外から相撲にあこがれて相撲界に入って来た力士は多数います。

最近は番付表にも載る方が多いのですが、全ての方が、なかなかそこ迄は行かない状況です。この数年で大体100名近くが入ってきました。

しかし、残っているのはわずかに皆さんが知る3名程度です。多いようにみえても、皆、我慢ができなくて帰って行くわけです。

 

日本人でも大変な状況に加えて、日本の風土、言葉、食事……と、多くの条件に耐えるということは苦労なことなのです。

しかし、下手すると、今、有名な3名の力士は日本人の心を、日本人以上に持っています。今、彼らから日本人が教わらねばならない時代ですよ!

例えばの話です。親を大切にする、このことを見ても頭が下がる状況があります。

 

この前E力士は親が病気の時、『ヨシ!今度のトーナメントに優勝しよう!』と頑張りました。優勝賞金600万円を取ったわけですが、それを全部親に送ったわけです。

最近話題になる日本の若者の方々のお手本になるような行動であると思います。

相撲の社会にもあまりお手本にならない若者が多くいます。国を離れる時、市長さん達が励ましの言葉、同級生からは寄せ書きや餞別までいただいて東京に来るのですが、相撲の稽古ぶりを見てビックリ、翌日には退散……といった具合の若者達です。

 

親の教育や躾けが大きく作用しているように思うのです。私どもの部屋は多くの弟子がいますが、子供の一生を決める大切な時期ですから、親がわりに子供の面倒をみる気持ちで日々努力をしています。

気持ちはその子の一生の責任を取る位の気持ちです。最近ではこの気持ちをどうにか弟子達がわかってくれるようになってきました。

相撲の場合、勝つためには激しい稽古を乗り越えねばなりません。力士時代は稽古が勝敗を決めていきます。辛いが頑張らねばなりません。

 

この間もある大関がテレビでインタビューされていました。優勝に至る喜びというテーマでしたが、その答えは『喜びは一瞬ですよ、もう、次に勝つための稽古に入っています。

先場所は休場しました。稽古場へ出たとき、兄弟子達の稽古を見て、あんなにすさましい稽古をしている! と感じました。稽古場に入るのが怖くなりました。稽古だけでもそれはすごいものです。辛いだけです。

しかし、自分にはこれしかない! と考え直し、気合を入れ稽古に飛び込みました。その結果が今場所の優勝になったわけで、一番一番を大切にしていっただけです。

 

今後この気持ちを続けたいと考えています。優勝は過去のものです。私のように体が小さい者に取っては有利な条件は何もありません。

稽古で技を尽くす事だけですし、これからの一番一番を大切にしたいと考えます』とのことでした。

立派な受け答えだと思います。

 

私も関取時代に稽古しましたが、今よりもっときつい稽古でした。毎日半殺しのような稽古でした。

半殺しって知ってますか? 意識がわかなくなるまで稽古が続くわけです。このような稽古をやったわけです。

意識がわからなくなると水をぶっかけられ、目には塩を突っ込まれ、丸太棒でたたかれるといった具合でした。今の青竹は丸太棒よりよっぽど楽です。身体のどこでもかまわずタタかれたものでした。

 

しかし、意識はもうろうとした状況です。この無意識の状況でたたかれ、ハッとし、もうたたかれたくないから、イヤ殺されてしまうのではないか? と考え、これから抜け出るために頑張ろうと力を尽くすわけです。

そうすると自分では気づかない本当の力が出て稽古が終わるといった具合でした。相撲の勘はこのような稽古で鍛えられたわけです。

こうした稽古が続けられたのは、自分の意思と、まわりの力士の頑張り、そして、厳しい中にも先輩達の思いやりを感じたからだったと思います。何とか強くなって欲しいという愛情ですよ、今の私があるのはこの先輩達が自分をしごいてくれたおかげだと思っています。

 

私は今も先輩たちが鍛えてくれた稽古の内容を感謝しています。今の稽古は随分と楽になったと思います。

しかし、やられる者にとってはそれでも大変なようです。

1m92cmのK力士、誰が見ても立派な体です。このK力士は末っ子のせいもあってか、小さい頃から大事に育てられてきたようですよ。

 

昨日も稽古を終わった後、壁に向かって泣いていました。いよいよ国に逃げ帰るのかな、と思った次第です。一人前になっても逃げる人はいます。

この時に説得が大切なのです。今まで育ててきたわけですから、彼にはこの前大関をしていて、今は親方になったK親方の話をするわけです。

彼は、一時スランプでした。なかなか勝てないこの時、私は彼にこう言いました。

 

「兄弟子のおれは彼をお前と同じようにしごいた。この結果、上位に上がり名力士となり、今になっている。お前ほど彼は体に恵まれていないが、頑張った。

頑張れ! 今稽古で脱落したら彼の足元にも近づけないし、今までの努力が無駄になる。

第一、ここ迄になれたのは稽古のおかげだし、お前も知る通り、ライバルのC関はお前同様の稽古に耐えている。お前も知る通りだ。

 

お前の方が彼より体力がある。天の恵みだ、それを稽古で引き出せ! そのためにおれは、お前をしごく、お前を生んでくれた両親、お前に期待する地元の方々、ファンクラブの人々はお前に期待している。

この方々に感謝し、期待に応えるためにも、今ここで、お前の弱点を克服する必要がある。

この弱点を克服すれば、これらの方々に恩返しになるし、お前も望む地位にあがるし、将来が開ける。だから、頑張れ!」と励ましたのです。

 

また、彼は涙を流しましたが、先の辛さに泣く涙から、やる気の涙と、自分が弱音を持った悔しさの涙に変わっていったことが、私には感じ取れた次第です。

この涙の違いがわかるには経験がないと駄目だと思うのです。今朝、彼は早起きして稽古していました。

この姿を見て、私は良かったな、と思いつつここへ来ました。相撲取りの世界では、弟子と親方の関係は大体このようなものです。

 

しかし、親方は勝つための稽古をやらせないと、このような精神論だけではつながらないように思います。精神論と相撲理論にもとずき、親方も弟子も勝てるストーリーを納得、信頼して行うことが大切なんです。

相撲は勝負の世界でしょ! 勝たねば稽古は意味がないわけですから、相撲は「ハッケヨイ!」と言いますよね、あれは「発気用意」という意味なのです。

「気を充実して一気に相手に発してぶつかる用意をせよ!」という意味なのです。真剣勝負ですよ、立ち合いの一瞬を間違えたら、自分の有利な取り口はできず。負けにつながります。

 

立ち合いを負ければ、死ぬ、何が死ぬかというと白星が死ぬ、今までの稽古の努力が死ぬわけです。

相手だって必死です。同じ気持ちです。まずは気の勝負です。必死で無心にぶつかるわけです。

もし、ここで頭を使う時間があれば良いのですが、とっさの勘で相手を不利にさせるわけだし、攻撃するわけですから、日頃の稽古内容が無意識に出なければいけない! これが、厳しい稽古で鍛える意味です。

 

頭で考え、身につけ、本番では無意識で技を出すわけです。勝った力士に「なぜ勝ったか?」と聞くと「……無我夢中で……」という答えが多いのはこのような状況があるからです。

無意識と意識では医学的には0.2秒の差があるといわれているそうです。この時間差は大きいと思います。

素質とは辛い訓練の末、稽古と共にでき上がっていくものです。本人が持って生まれたものだけではありません。稽古で形づくる中から生まれて育つものなのです。

 

横綱のT関などは足が複雑骨折し、再起不能といわれた時代がありました。しかし、今はそのことさえなかったように相撲を取っています。

人の見えないところで凄い稽古を繰り返していますよ。もし、稽古を少しでもさぼれば引退を早めるだけ、横綱は後がありませんから更に大変です。

要は素質が有っても稽古しなければ磨かざるただの石に終わるわけだし、相撲人生はつまらない一生になってしまうことになります。

“極まれば通ず”という言葉がありますね! 相撲は正にこの世界です」

 

相撲の頂点を極め、現時点で親方をなさっているS親方の話の要点は以上であった。

次に外国力士の話をまとめてみることにする。テレビのインタビューに答えての話の一部だった。

 

「横綱の千代の富士さんは強かった。にらまれると身震いしたものです。この気合に勝つだけでも大変でした。

あのかたは若いとき体を壊されたでしょ! 腕ですよね、脱臼しやすいのを筋肉を鍛えて強化したそうです。すごいですね。

私は、その気力にまず勝とうと必死でした。日本に来て相撲を学びましたが、最初は金儲けが目的でした。

 

しかし、力だけでは勝てない、ここで努力が始まったわけです。稽古はつらい状況でしたが、頑張りました。

相撲で学んだことは、真剣に稽古すれば自分の可能性を高められる点と考えます。

お金儲けだけならとっくに止めていたと、今は思います。事実仲間の中にはお金儲けだけが目的の人がいましたが、相撲を辞めていってしまいました」

 

「相撲でつらいことはなんですか?」

「そうですね、相撲で辛かったこと、最初は食事と文化、言葉の違いでしょうか? しかし、それは親方の苦労に比べれば大したことはないように思います。

私はケガが一番つらかった。稽古はできないし、周りからはいろいろ言われるし、まわりの人が頑張っているのを見るにつけ、悔しく、なぜケガなどしたのか、自分の未熟さに腹が立ってならないわけです。

地位があがって自分の相撲が取れなくなったのも辛い内容です。今までは四つに組む相撲でなく、突っ張って相手を押し出すのが自分の持ち味でした。

 

しかし、『四つに組め!』と言われるわけです。それで負けると『何をやっているのだ!』でしょ。

今、私はまた自分の相撲に帰り、白星を増やしながら四つ相撲を稽古でものにしよう、と考えています。

要は勝たなければ相撲は駄目で、まわりの風評を気にしない位の精神力を養成したいと思っています。これも相撲の修行と思っています。

 

そう、かつて、私は千代の富士関の相撲が目標でした。あこがれて真似を盛んにしました。そのため四つ相撲の話をされると、そうしなければならない、と考えたわけです。

しかし、やってみた結果、今わかったことは体の大きさ、機動性が違うので、あの相撲を真似ても自分の相撲にはならないと思っています。
これは、努力の末に得た結論です」

 

「お相撲の夢は何ですか?」

「そう、夢がなくては、今の私は挫折してたと思います。

これは先のケガの時に思ったのですが、その時に、私が頑張らなくては私についてくる若い人が挫折する。だから、ケガに負けてはならない。ケガに勝つことが、若い人達の手本になると気づいたことでした。

 

私は相撲が好きです。また、相撲しか自分には今のところありません。

辞めては自分も若手も駄目になる! この思いが私を奮い立たせたわけです。

もちろん後援会やファンの方々、親方や部屋の関係者の期待にお応えしたい、という気持ちも大きいわけですが、私を見て、鏡にし、努力していただいている若手の方々のご期待応えることが自分の使命だ、と考えています」

 

このお話をお聞きし、正に日本人より日本的という面を強く感じたわけであった。

また、先のS親方のお話の内容が力士の立場から、色々な面で出ているように思う。

相撲が国際的にも注目を浴びているのは、人間の本姓という内容が充実してきた力士の方々が相撲の勝利を形づくっている点に共感を覚えてのことではないか? と思う。

 

相撲の型はかつて剣道の師、千葉周作が学んだとされている。

周作先生は48手の内容を基に、剣道の理合を整理し、弟子に教えた結果、他の道場が10年かかる技の習得をわずか数カ月でできるようにした話が有名である。

剣道の“型”に知恵を入れた結果、“型+知=形”になっていったそうである。また、これが、現代剣道の基本になっている。

 

相撲にはこのような基本が昔からあり、小さい人が大きな人に勝つことができる理由や、外国の方でも正しく学べば、人間形成とともに高位のレベルに到達できることがわかる。

相撲の理合と過酷なまでの稽古を通じて、理合の実践が相撲と人生の勝利を生むわけである。ここに相撲が単なる勝ち負けの世界だけではないことがわかる。

また、国技として大切にする理由ではないか? と考える次第である。

 

では、相撲も講演内容と話をまとめ、この内容を企業のマネジメント活動にどのように活かすかを考えてみることにする。

 

(イ)部屋における修業と人材育成

私は相撲の制度はあまり詳しくない。だが、相撲取りが野球のように部屋替えを自由にやっている、という話はあまり聞いた例がない。

出稽古は盛んだが、相撲部屋という1企業体に入った相撲取りは一種の永久就職をしたに等しい環境ではないかと思う。

このことは、良い企業に就職し、部屋に入った人の力を伸ばす環境があれば良いが、そうでない場合は不幸な相撲生活をたどる危険性が相撲取りにあり、逆に、部屋としても良い相撲取りがいないと、どのように良い技術があっても、良い相撲取りを育てることができず、このため収益的に大変に支障をきたすリスクがあることを示している。

 

「企業は人なり!」というが、人材を得て伸ばす大切さが相撲部屋経営の状況から同様の内容である事が理解される。

企業で人材を伸ばす算式、成長=やる気×やる場×やる力は、相撲部屋の状況を見ていると明確な状況で見て取れる。また、この点は、企業でも学ぶ大切な内容であるように思う。

このところ終身雇用の形態が崩れるという風潮が産業界で叫ばれ、リストラが盛んに行われているが、多くの企業は収益性さえ確保されれば、やはり終身雇用形態の雇用を変えたくはない、というのが本音ではないかと思う。

 

中途採用者の処遇は一般に低く、まだ実力主義の時代は少し先の時代であるようにも思う。

このように考えると、厳しいが仕事を通して人を育てることは大切な内容であると考える。

電機業界で有名な企業N社は中学出の人を育て重役にし「石を磨いて金にする」と人材育成の大切さを社風にされておられ、多くの企業がその人材育成方法を勉強に通う状況である。

 

これなども相撲部屋の力士教育にたとえると大切な内容ではないか? と思う次第である。

私も、仕事がら企業在勤の時代、新入社員を部下に持ち、育成を担当させていただいてきた。この時、「企業の人材育成は直属上長、しかも最初に企業に入社した時の上長の仕事を見て一生が決まる!」と、ある会社の社長様からお話をお聞きし、責任を強く感じた次第であった。

新人の育成をどうするか? これには、

 

①ご本人の個性をとらえ、良いところを伸ばす

②きついが大きな仕事をしていただき、若い間に成功経験を沢山味わっていただく

③先輩は論より実践で手本を示す

 

この3つを先輩達から教えていただき、当時は充分ではないまでも、自分なりに努力したつもりである。

幸い、私は部下に恵まれ、教育するまでもなく、成果を挙げる良い環境だった。

しかし、中にはスタッフの仕事が本質的に合わないため、他の職場に移っていただいた方もあった。改善技術を身につけた内容が新たな職場で役立っている点だけは、ご本人に良かったのではないかと、今もその方と当時の思い出話をすることがある。

 

このように企業においても自分で望まない職制に配属され、力を十分発揮できない場合と、本人が考えてる以上の展開をするケースがある。

この内容はある意味では相撲部屋における力士と先輩、親方の関係に似ているように思えてならないわけである。相撲部屋に入ってきた若者は希望一杯であることは、新入社員の入社当時のそれと似ている。

人材育成の観点から、特に、若手を伸ばす、鍛える、という内容で伝統的な相撲部屋システムを眺めてみると、そこには多くの学べき点があるように思う。

(ロ)相撲と監査システム

相撲ほど力士の状況を外から見た関係者が云々するシステムはないのではないだろうか。

勝ったのはなぜか? 負けた理由はなぜか? 稽古の量、方法、体力とケガの有無、精神状態や相撲に対する考え方、特徴などなど、相撲の仕切り時間の間の解析だけでなく、取り口や、本場所前、相撲協会による見取り稽古などなど、正に、企業でいうと常に現状の見直し、監査をされている状況にあたる、といって過言でない。

この結果が常に報道される状況は、力士は技や状況をライバルに公開され、しかも、批判や評価に耐えて試合に臨む環境に晒されている内容に匹敵する。

 

お相撲さん達の精神的負担は想像を絶する内容があると、私なりに推察する次第である。

現在ISO9000、14000を中心に監査が世の中で大はやりである。

ここで相撲取りの評価の見方を監査に対する考え方と対比して眺めてみたいと考える。

 

ある、横綱クラスのお相撲さんの言をお聞きすると、「自分の欠点や改善点の指摘は多数あります。しかし、大切なことは、誰が言った内容か? が大切です。

風評に惑わされるのでなく、本当に相撲の実力を見抜き、しかも、的を得ていて、私の特徴や、私の事を思って注意を言ってくださる方々の意見は大切ですが、それ以外は聞き流します。参考にしません。

私はスーパーマンではありません。一番には部屋の親方、先輩の意見、その後にその方の意見を参考にします。もちろん、それ以外の方の意見は無視させていただきます」

 

この考えは企業の自主性を物語る大切な考え方であると思う。負けた時、結局、責任を取るのは相撲を取る本人であり、ものの見方を選択する能力なくして多くの注意を聞いても、実力向上の足しにならない! という考え方である。

この言は厳しい内容である。効果の上がらない指導は無駄! となるからである。

私もコンサル・テーションの場でこのお相撲さんのお話を指導する側の立場として、常に心に止めさせていただいている。

(ハ)相撲と頑張り

講演内容が示すように、お相撲さん稽古はかなり厳しい。かつて労働歌に「仕事はとってもつらいけど、輝く未来に……」という歌が歌われたことがった。

古い話だが、戦後間近いころだったと思う。相撲の稽古はこの上を行く内容であることは先の話が示す通りである。

では、企業では? と考えるわけだが、同じようなことが企業活動の中でも誰もが、幾度か経験している内容に類似したことがあるように思う。未来の夢を支えに、ある時逃げないで頑張り、それがために仕事を成功に結びつけた例である。

 

私自身、相撲や、読者の皆様ほどではないが、何回か辛い思いを何とか切り抜けてきた経験がある。

この時に頑張れたのは未来を信じた点であった。幸いに苦労を切り抜けた喜びに加え、友人がその都度増えた。

私自体、このような取り組みで、ご関係の方々から多くを教えていただいたことを今も感謝している。

 

しかし、私が関与した例であるが、残念な例もある。その例は管理者が問題を逃げることが問題解決を遅くしてしまった例である。

ある時のことであった。

トップの要請である現場の改善に当たったことがあった。その現場の士気は低下していたし、品質、納期面で問題を起こしていた。職場の活性化と改善土壌の育成が私に与えられたタスクだった。

 

この仕事に着手して3日目、どうしても期限に間に合わせなければならない仕事があった。

その製造現場を管理していたその担当職場の課長Mさん、「あと、よろしくね!」と言って、私の目の前から帰宅しようとするわけであった。

「ちょっと待てよ!」思わず私は叫んでしまった。

 

私の現場経験から言って、この時点でこれは絶対にまずいことである。たとえ管理者がいたとしても管理者は現場の仕事を直接やるわけではない。この課長さんもできるわけではない。

そうはいっても、課長が現場管理者が現場に立ち、部下の方々をはげますだけで、現場の方々は士気を鼓舞して、頑張ってくれるからである。

この時はそれが必要な時期であった。このため、私はMさんに注意したわけだったが、Mさんもこれに気づき? 足を止めてくれたのでホッとした。

 

その後、私は急用の処理に事務所へ帰った。しかしである。私も関係し始めた仕事なので、用を済ませて急ぎ現場へ帰ってみたところ、驚くなかれ、彼は、その後15分してから帰宅していた。

「なぜ?」と現場で未だ一生懸命働いている方達にたずねたわけであった。

「彼は、最終列車の一つ前の列車で帰宅するのです。あの人はいつもそうです。大事な仕事と思っていないようですよ! 今日のこと」

 

「いや、違う、今夜の仕事は特別なんだ、では、私が付き合おう! 皆には余計かもしれないが、皆の仕事ぶりも勉強させていただく意味で、私に何か手伝うことがあったら、遠慮なく言いつけて下さい。

何も役には立たないかもれないが、そう、もし、うるさいようなら、この机の所で現場の仕事や、レイアウト、設備の不具合対策の改善を考えているからね!」

「手伝いはトモカク、では我々の気持ち、現場にいて下さい。心強いから!」と皆がいってくれたので、約1時間、現場にいたわけだった。

 

現場の方は実によく働かれた。当然のことながら、仕事は無事に終了したわけだった。

帰宅しようと思った時、現場の方々に誘われた。

「丁度明日は番手が変わるので」ということで数名と共に飲み屋に立ち寄り一杯となった。

 

「ありがとう」の一言から「なぜ現場で問題が多く改善が進まないのか」。皆が、今回の私の援助を工場のトップの要請と共に大きく期待し、この機会を現場としても利用したい希望がある状況や、Mさんの管理方式までお聞きしたわけであった。

この日は問題がなかったが、「もし、不良が出れば、自分たちが大目玉を翌日食らう」こと、「それは良いが、現場にいれば相談して指示を仰げばそうはならないと思う」など、不満というより創造的な意見として多くの内容をお聞きしたわけだった。

この対策は裏取引ではいけない。早速、Mさんを始め、管理部門の関係者として管理の基本を正さないとこれは将来大問題になる、と思った次第であった。

 

管理の基本は次の3点に絞られると考える。

 

①管理者は責任を逃れることはできない

②部下と設備を育成する

③P−D−Cという管理の輪を回し、レベルアップと目標達成する

 

私はMさんはこの点で頼りにならない! と考えた。Mさんに期待するより、その上の方を含めて管理システムとして現場の本音として出ている要求を活かすことがなければいけない。

今晩のことは、管理部門全体であたれば、Mさんが仮に管理面で問題があってもなんらかの方法でカバーできる策が見つかるかもしれない、と考えた。

その部門の部長に事情を話し、無記名アンケートとして現場の本音を集めて改善に当たることが正式に決まった。アンケート結果は皆に図化の上、公開したわけである。

 

そして、現場の提案を方向づけ、改善を進めていったわけである。もちろん管理者教育も先の3点を中心にMさんを含めて行い、管理システムの改善も早急に行った。

食堂など、環境面の改善、提案制度等と提案をもとに、改善を醸成する態勢の充実が進んだ。この改善でこの現場の体質は大きく変わっていった。

3ケ月で小額改善で生産性は20%も上昇し、皆、改善の大きさと速さ、自分達の持てる力の大きさに感激し、製造現場も明るくなっていった。

 

改善はますます進み、生産性、品質、納期共に良くなっていったわけであった。その時点で私のタスクは終了となった。

改善指導の職を他の現場に移す命令を受けた次第であった。 その後が、残念な話となった。

課長のMさん、その職場には不適当というトップの判断でその後その職場を転属になったという話を聞いたからであった。現場がどのように良くなっても、いざという時はあったわけで、この状況でも管理者が先頭に立ち、皆を激励する行動を取らなかった、という内容が管理者配転の内容だったそうである。

 

これは極秘情報だが、トップの方から私に伝えられた。

組織や人が本当に困っている時、金や命令では解決のつかない信頼関係のようなものが生産を支える事例が多くある。

管理者と従業員が一体となり、夢を実現する活動である。そこには理屈では説明つかない内容があるケースである。

 

かつて、現場は感性85%で活動している、というお話を教えられた記憶がある。

相撲の親方と弟子は日々の相互に努力して、強い信頼関係を育て、これが支えとなって厳しい稽古を続けられているのではないだろうか? 感性が稽古の量、努力に大きな関係を持つからである。


昭和45年から平成2年まで、日立金属㈱にて、全社CIM構築、各工場レイアウト新設・改善プロジェクトリーダー、新製品開発パテントMAP手法開発に従事。うち3年は米国AAP St-Mary社に赴任する。平成2年、一般社団法人日本能率協会専任講師、TP賞審査委員を担当を歴任する。(有)QCD革新研究所を開設して活動(2016年有限会社はクローズ、業務はそのままQCD革新研究所へ移行)。 http://www.qcd.jp/