価値観の違いと女性の働き方
企業における女性の活用、女性の活性化の動きは周期的に起こっては消えているように思える。
25年ほど前にも、「女性の感性を生かした商品づくり」「女性だけのチームで活性化」といった話題がマスコミを賑わし、一方で、産休を取る同僚の仕事を引き受けて仕事に追われる独身女性の悩み、なども聞こえてきた。現在とあまり変わらない。
最近の動きでは、女性管理職の比率を30%にしよう、などという具体的な数値目標が出されているのが目新しいのだが、一方で、「女性は管理職になりたがらない」「上昇志向のない女性が足を引っ張る」という議論は相変わらず飛び出してくる。
働くことに対する価値観は多様である
ここで忘れてならないのは、女性のみならず人間の働くことに対する価値観は多様だということである。
もしも食べるに困るほど貧しければ、価値観など関係なく、とにかくお金を稼がなければ、と思うのは当然だろう。男は働いて家族を養うべし、という役割が固定化された時代であれば、価値観など関係なく、男の人は働きに出るだろう。
しかし、最低限の生活ができるようになり、男女の役割が流動的になってきた現代においては、働くことに対する価値観が人それぞれ異なることを認めなければならない。
考えるべきは潜在的な能力を発揮できない女性たちのこと
ここで、女性に話を限定して考えてみよう。
横軸に「女性の価値観」を置く。左端を「女性は家庭を守るのが一番優先される」とし、右に行くにつれて、「女性も社会に出て働くべきである」度が強くなるとする。
縦軸には「現在の働き方」を置く。一番下が「専業主婦」で上にいくにつれて、外で働く度合が増え、一番上は、「キャリアを積んでいる正社員」とする。
このマトリックスで、斜め45度の線上にある場合は非常に幸せである。
例えば、女性は家庭を守るのが一番優先と思っている人が専業主婦として子育てに専念できる環境を得られれば幸せであるし、家庭も大切だが、少しは社会に出て働き生活も豊かにしたい、と思っている人がパートで働くというのも幸せだろう。
もちろん、社会に出て働く度の高い人が管理職に昇格してバリバリとキャリアを積み上げて行ければ、それも幸せである。
これらの幸せ線上にある人たちは、各々、自分の持つ能力を最大限生かすことで、各々、家庭も含めた世の中に貢献していけばよい。
考えるべきは、この幸せ線上から外れた人たちのことである。
フルタイムで働きたい、正社員としてキャリアを積みたいのに就職できない、子供を預ける場所がなくて休職せざるを得ない、など、マトリックスの右下の方の人たちは、潜在的な能力を発揮できないことで、社会的な損失になっている恐れがある。
現在幸せ線上にいる人も、経済環境、社会環境の変化によって、いつそこを外れるか分からない。
社会全体の問題として、価値観に沿った働き方ができる世の中にしていくことこそが、今求められているのではないか。
叱りやすい「技術者」と叱りにくい「技術者」
すぐ「資料を作って」と、若手技術者の口頭説明に対して言っていませんか