ローカル企業のグローバル化の考え方

ローカル企業のグローバル化の考え方

私の仕事は、『中小企業の再起動』である。 

中小製造業の今後を考えるうえで、グローバル視点が非常に重要な事は皆が理解しているが、残念ながら日本の報道を見ているだけでは、グローバル視点での情報と考察がどうしても乏しくなってしまう。

今日の中小製造業における様々な外部環境変化(円安進行とか、コストダウン要因とか)も、ほとんど国内要因として片付けてしまう習性が日本のメディアにある。

 

今日の円安環境も、『黒田日銀総裁のバズーカ砲が円安を生んでいる。』という認識が一般的であるが、黒田さんがキッカケを作ったとしても、アメリカの戦略なくして円安は実現しない。

為替は日本の施策だけで決まるのではなく、米国のご都合で決まるのである。

 

20年前から始まる日本のデフレ経済も日銀金融施策の失敗など、国内の要因が語られているが、国際社会で起きた「ソ連の崩壊」や「ベルリンの壁壁崩」も日本のデフレ化に大きく関係している。

東側諸国の賃金の安い労働力が、自由経済に大量に流れ込んだ。10億人の資本主義社会は、突然50億人のメガコンペティションの時代に突入した。

 

この直後に日本のバブルが崩壊した。日本がデフレになるのも当然である。

今回は ”ローカル企業のグローバル化” を考える前提として、日本の歴史を振り返り『明治維新』をテーマに、”日本がいかに世界の影響受けているか!” を検証し、『幕末の国際ビジネスマン』であった『薩摩藩』を題材に「ローカルな薩摩のグローバル化」の話を進めたい。

 

1.明治維新はなぜ成功したか?

明治維新はなぜ起きたか? そしてなぜ成功したのか?  多くの論説が語られているが、中国のアヘン戦争、アメリカの南北戦争、パリの万博などの影響が語られることは少ない。

薩摩藩は、貧しい藩であった。この貧しい藩が、なぜ明治維新を仕掛け成功したのか?

その答えは、琉球と長崎にある。外様大名の中で、薩摩藩は唯一海外情報を得ることが出来た藩であった。琉球を経由し、薩摩藩は積極的に海外の情報を把握していた。

維新は坂本龍馬などの優れた思想家による偉業と評価され、常に国内問題として語られる事が多いが、坂本龍馬も日本で最初の会社経営者であり、国際ビジネスマンである。

戦争や革命には「金(カネ)」が必要であり、経済力が戦果を左右することが多い。明治維新には、産業革命から始まる国際的な工業製造力と経済力が作用している。

2.明治維新前夜の国際社会

明治維新前夜の国際社会の出来事から日本を取り巻く国際変化を眺めてみたい。

インダストリアル4.0『第4次産業革命』が最近の話題となっているが、18世紀にイギリスで始まる”産業革命”がなかったら明治維新など起きる必要もなかった。

水と水蒸気の力を使って機械を動かす『第一次産業革命』がイギリスで起き、イギリスは世界を制圧する強大な力を手にしていた。

その源は、イギリス国内に作られた『工場』であり、原材料を安く輸入し、工場で加工し付加価値を付けて世界に売る『加工貿易』である。衣類も武器もイギリスの工場で作られ、世界に輸出されていた。

イギリスは産業革命によって製造業が生まれ ”強大な力” を手にした。イギリスの強大な力によって、インドは植民地となり、かつて壮大な力を有した中国(清國)もアヘン戦争でイギリスに敗れ去った。

日本もいずれイギリスや欧州列強の植民地になる運命にあった。すべては、産業革命で手にした「金(かね)」の力である。

3.アメリカ南北戦争

アメリカでも「金(かね)」が原因で、市民戦争に突入した。南北戦争である。

アメリカ(北部の合衆国政府)では、イギリスはじめ欧州の力に対抗するために、国内の製造業を確立しようと躍起になっていた時期であり、国内産業育成を目的に保護貿易を指向した。

これに反発したのが南部の各州である。アメリカ南部は綿花の産地である。アメリカ南部が奴隷を使って安く作った綿花をイギリスやフランスに輸出し利益を得ていたので、南部は自由貿易を主張する。この主張の違いが、アメリカ南北戦争を誘発した。

アメリカ南北戦争は、おそらく人類が初めて経験した『工場生産の最新兵器戦争』である。イギリスの工場で作られる小銃などの最新兵器によって戦う戦争である。

南北両軍とも最新小銃をイギリスから購入することに血眼になった。需要があれば価格が上がる。『高騰する最新兵器。最新兵器が希少価値』という国際的常識が、南北戦争によって生じた。

南北戦争は北軍勝利で終結。戦争が終われば兵器はいらない。兵器が不要となり、兵器の国際価格が暴落した。世界中で兵器を買うところがない。中古の小銃も国際社会に出回った。

4.ローカルな薩摩のグローバル活動

明治維新の直前にアメリカ南北戦争が終結したことは、日本の運命といっても過言ではない。

薩摩藩にも江戸幕府にも、兵器を手に入れる大きなチャンスが生まれた。この国際情勢の変化(パラダイムシフト)を知っていたのは、おそらく江戸幕府と薩摩藩(薩摩は琉球経由で情報を得ていた)だけである。

しかし、いくら兵器の価格が下がっても貧乏薩摩に購入する金が無い。金を得るために薩摩藩が目をつけたのは『綿花の国内での買い占めと密輸』である。

南北戦争で南部の綿花畑は荒廃し、綿花は高騰していた。戦争が終わり奴隷制度は廃止され、以前のように綿花を作れず『綿花の国際価格』は暴騰していた。

薩摩は日本中の綿花を低価格で買い占め、密輸でイギリスに売りさばき大金を手する一方で、兵器を買い占めしたのである。

結果、薩摩藩は大量の兵器を手にし、江戸幕府を倒すことになる。極めて高い武士道文化を持つ会津藩も最新兵器の前には無力であった。

かくして薩摩の『グローバル情報の収集力と国際ビジネス』によって明治維新は成功する。

ローカル藩(企業)のグローバル化による成功事例の好例である。


株式会社アルファTKG社長。1953年長野市生まれ。2014年3月までアマダ専務取締役。電気通信大学時代からアジアを中心に海外を訪問して見聞を広め、77年にアマダ入社後も海外販売本部長や欧米の海外子会社の社長を務めながら、グローバルな観点から日本および世界の製造業を見てきた。 http://a-tkg.com/