アフターコロナで第一にやること

アフターコロナで第一にやること

緊急事態宣言が一部の地域で解除され、いよいよアフターコロナに向けてそわそわしてきた。これからは「コロナと戦う」ではなく、撲滅は難しいから「コロナと共存する」が言われ出している。

感染症等のリスクはいつの世もあることだから、それをリスクとして事前に想定し、それに対応できるようにすべし。いわゆるBCP(事業継続計画)をしっかりして、事が起きてもビジネスを続けられる体制を整えようということだ。

 

日本政策投資銀行によると、日本で最初にBCPがスポットを浴びたのは、2001年9月のアメリカ同時多発テロの時だという。崩壊した世界貿易センタービル近隣にあった金融関連の企業が、BCPで策定していた通りに動き、業務への影響を最小限に抑えることができたことが世界の注目を集めた。

日本でもBCPは大切だという声が上がったが、それも一時的。悲しいことにBCPは何か事あるごとに浮かび、時がたつと忘れられていくもの。ここ数年を思い返してみても、東日本大震災によるサプライチェーンの断絶、今も影響が続いているエアバッグの不具合による大量リコール、日韓関係の悪化にともなう半導体材料の輸出停止、米中貿易摩擦への影響、昨年日本列島全域にわたって大きな被害を与えた台風19号など沢山あり、その都度、BCPや事前の対策の重要性が叫ばれた。

しかし自然災害もあれば、人的災害、国家間の関係など、その種類は多岐にわたる。感染症であるコロナウイルスはこれらとはまた別物。BCPといってもどこまで想定しておけばいいのか難しい。

 

とは言え、人は学ぶ生き物である。経験を積み重ね、失敗を防ぎ、万が一の際も被害を最小限にすることができる。

今回のコロナ禍も「収まって良かったね」で終わらせてはいけない。ここで得た教訓はマニュアルとして残し、次につなげることが重要だ。

収束後を見据えることも大事だが、何が起きて、どう対処して解決し、どんな課題が残ったか。それは100年続く企業になるための重要な資産になる。


1975年群馬県生まれ。明治大学院修了後、エレクトロニクス業界専門紙・電波新聞社入社。名古屋支局、北陸支局長を経て、2007年日本最大の製造業ポータルサイト「イプロス」で編集長を務める。2015年3月〜「オートメーション新聞」編集長(現職)。趣味は釣りとダーツ。