【製造業再起動ブログ】第2話 ローカル企業のグローバル化

【製造業再起動ブログ】第2話 ローカル企業のグローバル化

海外旅行が当たり前の時代になった。
法務省統計によると、昨年の日本人出国者数は 1700万人を超えている。50年前の東京オリンピック、東京モノレール開通の頃は 10万人程度であった。驚異的変化である。

これだけ庶民の海外旅行が一般化したのに、中小・零細企業のビジネス視点で見ると外国とは依然 ”遠い存在” である。
勿論、海外進出に積極的な中小企業も多く存在するが、国内の中小・零細製造業が外国の顧客と直接取引しているケースはあまり多くない。

韓国では従業員30人以下の小規模製造業に於いても、中国やアジアに顧客を持ち直接取引するのは一般的なことである。
日本の中小企業経営者に、海外から仕事を取らない理由を聞くと様々な答えが帰ってくる。
英語の壁。人脈がない。海外は危ない。輸送費が高い。価格が合わない(多分)。為替。などの常識的答えに加え、親会社に恩義がある。とか海外は嫌いだ。と言った凄い答えも時々ある。

これらの理由はすべて日本社会に存在する共通認識から生まれている。
日本の中小企業経営者の常識にもなっている。
しかし、この常識を貫いても国内の仕事だけで成長軌道に乗せるのは難しい。
中小企業再起動のためには、まずこの常識の破壊から始めなければならない。

日本人の持つ海外認識や製造業の常識を解明するために、200年々以上に遡り歴史考察から始めたい。

【江戸時代の鎖国】
世界の先進国製造業は、中小企業でも零細企業でも外国の顧客との直接取引が普通のように行われている。また社歴の浅い新興国製造業でも外国からの受注には大変熱心である。

日本の経営者が外国を敬遠する原因に、江戸時代の鎖国政策が関係している。

何故か?
私達日本人は、” 江戸時代は鎖国 “ と学校で学んだが、正確には正しくない。
鎖国とは、外国との交流を遮断し国際的に孤立した状態をいうが、江戸時代は完全な鎖国ではない。

江戸幕府は、外国との交流を遮断したのではなくオランダ商館と中国船のみに限定し、限られた特権階級のみに対外貿易業務への従事を許したのである。
江戸時代でも、日本は対外貿易を行い外国の技術情報も正確に把握していたのである。

一般庶民の海外渡航は厳禁された。一般庶民が外国と接する機会は与えられなかった。
長い江戸時代の間に、一般庶民は海外と遮断されることが当然となり、”外国と接するのは特別な人 “という遺伝子が日本人に刻まれてしまった。

この遺伝子が今日の日本人に引き継がれている。

海外と接触するのは大企業。大企業の中の特別な人。海外ビジネスをする人は特別な人。
英語ができなきゃ海外とビジネスは無理。・・そんな意識が潜在している。

中小企業や零細企業のトップは、海外の会社と直接取引するのは無理だ。という一般概念が日本製造業を支配している。

【商人(あきんど)】
企業の生命線は受注活動である。
しかし日本の中小製造業は、技術はあっても営業力が弱いのが一般的である。

何故か?
江戸時代の『士農工商』が強く影響している。
余談だが、『士農工商』の言葉は部落差別を連想させるとして、現在は放送禁止用語として扱われている。『士農工商』は江戸時代の身分制度との認識があるが、実際は職業の世襲制である。
”工”の子供は”工”。職人として誇りを持って世襲したはずである。
職人は商人(あきんど)の真似はしない。売るのは商人(あきんど)の仕事。職人に徹する “工”が何世代も世襲で続き、本物の職人が日本に生まれた。

この職人遺伝子が今の日本に引き継がれている。
現在の日本のお家芸は熟練工であり、日本の真の強さである。

売るのは商社。大企業。
その系列にある中小製造業は『もの作りに専念するプロ集団』
江戸時代の遺伝子。営業力が弱くて当然である。

【職住近接と世襲】
江戸時代には造船所や鉱山以外、工場という概念はないし、工場団地もない。
士を頂点に、町人と百姓に分かれ 職人たる”工”は、町人の中にも百姓の中にもいた。

この歴史が、日本製造の裾野を支える中小・零細製造業に引き継がれている。
家内工業/町工場の存在である。

現代の日本でも町工場はいたるところに存在する。都市部にも地方にも町工場が存在する。
町工場の隣に住宅があったり、近くにはスーパーがあったり、床屋があったり。
サポートマニュファクチャリング集積国家日本の真の強さである。

明治維新以降イギリスの加工貿易をお手本に「富国強兵」をスローガンとし、積極的に自ら産業を興こす政策を取った。岩倉使節団に合わせて留学生を派遣するなど産業技術の移植に務めた。
世界遺産となった富岡製糸場などの官営工場が、今日の大企業工場の始まりである。

ローカル企業とは、江戸時代の “工”の遺伝子を引き継ぎ、職住近接の環境を持ち、熟練工の優れた技術を保有する比較的小規模な企業群。世襲を基本としニッチな技術を深く掘り下げ子どもや孫の時代まで企業継続すること経営信念とする。
これは本当に日本にしかない素晴らしい企業群である。
地方の工業団地にある中小企業もローカル企業がほとんどである。

一方、グローバル企業とは明治維新以降に官民工場の払い下げで成長した大企業(旧財閥系)と、戦後の急発展でグローバルに拡大した大企業群。

日本には、『ローカル企業』と『グローバル企業』。明確に歴史も遺伝子もその体質も全く違う企業群が存在する。

【ローカル企業のグローバル戦略】
日本製造業復活の鍵は、ローカル企業の再起動である。
再起動には、どうしてもローカル企業のグローバル化が必須である。

次回は、第3話【ローカル企業グローバル化の考え方①】を投稿する。
出典:アルファTKG


株式会社アルファTKG社長。1953年長野市生まれ。2014年3月までアマダ専務取締役。電気通信大学時代からアジアを中心に海外を訪問して見聞を広め、77年にアマダ入社後も海外販売本部長や欧米の海外子会社の社長を務めながら、グローバルな観点から日本および世界の製造業を見てきた。 http://a-tkg.com/