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社長の家は豪華が一番か? 人をつくるか? 豪邸を造るべきか?

社長の家は豪華が一番か? 人をつくるか? 豪邸を造るべきか?

これは、企業のトップF氏の講演内容です。

テーマは「生産革新の講義の体験談」でしたが、体験談を基にした素晴らしい内容であり、研修生にも大きな感動を与えました。

F氏は、当時、H社の重役の中でも従業員から尊敬の高い方でした(「仕事は厳しい」が、若手にも人気の高い方です)。

 

では、早速、F氏の講演の内容を紹介することにします。

「今日は生産革新の話です。なぜ生産革新が大切なのか? 私は生産革新を担当しているが、このような仕事は自分自身の考え方がないと、できないように思う。

では、私の体験談から、このような考え方を紹介していくことにしたい。

 

私が会社に入った若い頃、たまたまだが、列車で同席となった方と話がはずんだことがあった。後で判ったが、この方は、我が社(H社)の社長の友人であり、大会社の社長だった。

しかし、その時は全くそのようなそぶりはなく、『一度うちへ遊びに来なさい!』と声を掛けられ、M社の社長様のお宅へ訪問した。

そこで、私はM氏宅を訪問し、その門構えに、まず驚くことになる。

 

その理由は、お宅に使われている木材が、そんじょそこらに無いものばかりを使っていたからだった。

楓、檜、桜といった木材だったが、その豪華さと太さ、これは目を見張る内容だった。

この時、やはり若いときに努力をされ、大金持ちになることはうらやましいとさえ思った。

 

そう考えながらMさんを待つうちに、私を招待されたMさんが現れ、お宅にあげられ、いろいろなお話となった。

その時は、私は、単に遊びに行く理由が薄いので、H社の商品の取扱を説明しに行くことを兼ねることにした。

しかし、その話はすぐに終了してお茶となった。

 

そこで、機会をみて、『このようなお宅をよく築かれましたね。いろいろと人生の成功談をお聞きいたしておりますが、お邪魔し、本当に感激いたしました。若いときのご努力に敬服いたした次第です』と言うと、『そうですか、私の家を良くご覧になられたわけですね。若いとき、それはそれなりに努力しました。

私は貴社の社長様、H社の創業社長様の友人です。その方はKさん(H社の創業社長)ですがね!』

『そうですか! それは驚きです……』

 

『だが、私は寂しさ、私は今このような状態であり、日本でも有数な富豪ということになっている。しかしこの歳になってみるとつくづく寂しさを感じます』

『こんなに満たされておられても?』

『そう! 私は努力して結果としてこのような家を残した。しかし、後はこの家屋の老朽化維持だけで人生を過ごしている。

 

ところがどうだ! 貴社のKさんは私と同じ金を人に投資した。このため人がどんどん育っていて会社も技術も世界一流、しかも成長中だ!』

『まだ、まだですよ!』

『それだ、まだまだと思う若者が世界を発展させる。ましてや、どうだい、Kさんはリスクのある研究にも社長プロジェクトなる名称を付け、失敗を恐れぬ若者をどんどん育てている。

 

君! 企業はこのような人によって、財も会社も製品も技術も育つのだ! 君も、死んでから自分に残るものは何か? わかるだろ。

この家は博物館、教養的な価値は残るかもしれない。しかし、それだけさ! 私は大きなところでKさんと道を2分したことを反省している。

君、若い人を育てる、これは大切だよ、君も、本当に仕事で若手を育てる人になってくれたまえ……』というお話だった。

 

私は、この時、このような話と共に、この家で信じられないような豪華食事までいただいて帰宅した。

私は、たまたま列車で知り合った老人に、お客様としてお邪魔してから、何らかのお世話をするつもりだった。

そこで、H社の商品説明資料を持っていった。

 

その話はそれなりに喜んでいただいた。しかし、それだけだった。

逆に、私がお世話をする役目だったはずが歓待され、大いなるお世話を受けながら帰ってくる結果になったわけだった。

このような話を皆さんにした理由は、この話こそが、私が若い頃、営業マンの端くれとして活動する中で学んだ、また、人生で最高・最大の内容だったからです。

 

このような経験から、私が今のH社のT事業所に配属になった時、このお話に対する答えを求め活動してきた人生だったように思うので、まず、皆様にお話をしたわけです。

私は、営業畑から現在のH社T事業所へ重役として転任させられた。

要は、畑違いの仕事をしてきた。

 

関係者の話では何とか仕事ができる人間という評価をいただき、今日の講演ともなったようだが、私は、先の話を大切にしてきた。

このため、何とかここまでやって来たように思う。私がT事業所でやったことと言えば、3年経って皆が問題と思っていることや、やりたいこと。

また、何とかしたい内容を取り上げて対処してきたこと程度の内容しか無い。今にして思うと、何とか、その約半分がやっと実現できた程度だ。

 

また、そのテーマが、生産技術の革新のテーマと一致していたようだが、関係者の努力でできたわけであり、私の力は微力だった。

しかし、成果が大きかったため、まわりに担がれる形で、今回この研修に呼び出された。

今回、ここへ招待された理由も、私の活動を自慢したくて来たわけではない。

 

ここへ呼ばれたのは、今回の研修の創設者、後ろに座っておられるO重役からIE研修立案の相談を受けた時、『大体、このような技術革新のための研修を企画するのはおかしい!』と私が反対したからだった。

『反対なら、皆の前で理由を話せ!』というから、『それなら』ということで、私はここへきたわけである。

 

では、お話するが、皆様が業として進める技術革新などというものは結果である。

技術者が本物を見つけ、チャレンジ精神で先頭に立つ活動がなければ、支援のための教育など何も役立たない。

また、御社の皆様がいる環境で、企業の担当マネジャーが、「実務を中心に人を育てよう」という考え方と活動がなければ、人材育成などといった活動は無意味だと思う。

 

ましてや、研修を受けた程度で何が変わるのか?

自分の人生の目的を持っていない人に研修など行ってもムダ、そこで、『今回、この種の研修などムダである』と言ったわけです。

若い人には、『何のために何を学び、何を周りに残してゆくべきか?』をはっきりさせて欲しい。

 

これには、先に話した我が社の創業社長の精神を失わずに活躍して欲しい。

我が社は“技術立国”技術を育て、国や社会に本当の貢献をして、更に、仲間となる人づくりを進める。

この活動を創業社長が先頭に立って行ってきた内容である。

 

この努力と活動、また、そこで育った方々がいるから我が社があり、その使命を知って活動の中で育てられた方々が今、我が社の重職にいる。

また、この方々がその精神を継いで活動しているわけである。

それを、机に座っていて、あれダメ、これダメと製造現場や部下をいじめ、『体制が自分を制約している』と思い、この種の企業人として行うべき使命を忘れ、その場しのぎの活動をしているようでは、始めから勝負に負けている。

 

皆様は、研修にきて、今後どう活動するつもりですか? 何を企業人として行い、H社の精神を具体的行動として示して行かれるのですか?

今日は時間が無いので聞けない。しかし、この種の研修に来る方に、『未来の革新に注力しなさい』とサゼッションすると、よく『忙しい』と言う人がいる。

“忙しい”という文字は左が“心”、右が“亡”という文字である。この言を吐く方は半分死んだ人である!

 

いいですか、今回出席の皆さんは企業のトップが選んだ人である。

だから、そういう事を言う方はいないと思うが、技術者は忙しく仕事をすべきではない! 製品や改善、人や技術は現場・現物が無ければ育たない。

机の上で議論ばかりしていてもダメだ。

 

だから、研修を受け頭でっかちになっても意味がないから、Oさんが、この研修の企画を私に見せた時、私は『研修など辞めてしまえ!』と言ったわけだ。

特に、皆様のような技術者は、今のような混迷をする。

また、技術競争が激しい時代、机に座って討論したり勉強などすることに人生の大半を使うのではなく、ここぞ、という時だから、早急に現場へ出て知っていることを総動員した仕事をすべきです。

 

足りない勉強は仕事しながら学ぶべきです。

“革新”と称する仕事や改善には、必ず嫌な条件、困難な条件がつきまとう、それを乗り越えなければ先に進まない。

そこで、H社の精神を話すが、大体『“技術”とは何か?』考えたことがある人はいるか?

 

4〜5名の生徒に答えさせてから、では、私の考えを話そう。これはH社の精神でもある。

『技術の技の字は問題や夢づくりを、いいかな? 手で(手辺)で支える意味である。要は、辛くてもやり遂げるまで目的、目標を失わず支えることをいう。

そして術は行動の“行”の真ん中に分け入るように“求める”という内容をはさみ込んでいく行動を意味する。

 

このように文字を見て、自分たちが行ってきた活動を考えると、君達技術屋は勇気を持ってトップに夢を進言すべきか? また、何をすべきか? がわかるはずである。

また、あなた方はその立場にあり、期待もされている。だから、ここにおられるわけである。

この技術の文字を文字通り実践することなくして、君たちの管理者は君達を助けることはできないはずである。

 

また、説得には探究心をベースに夢をハッキリ持って、ことに当たる行動が大事だ!

人を説得するには、どのように正しく思っても、理論や観念、多くの知識や勢いだけではダメだ!

客観的な事実と冷静な判断で論理的に解析されたデータと条件を覆す理論と実践が必要だ!

 

これを若さというわけだが、今回、このような内容を皆さんが行うテーマと共に持ち帰らなければ、ここに来た意味は全くない。また、私もムダな話をしたことになる!」

以上、このお話はH社でF氏がIEを導入展開するリーダーの方々に話された内容です。

この時、筆者をはじめ、30名ほど出席された中堅技術者の方々は、H社グループでIEを全面展開する活動の最中でした。

 

全員が、地位も経歴を持つ総々たるメンバーでした。

こういう理由も手伝ってか? 当時、ご出席された方々は、この講演内容を生かす形で仕事にIEを活用して仕事の成果をあげました。

また、このお話も関係者に広がったわけですが、K氏の講演内容があまりにも評価が高かったので、「再度話をお聞きしたい」ということで、続いて行われた研修に、「もう1回限り」という約束で、F氏の仕事の時間を調整いただきました。

 

私は幸いにも、IE研修の講師を担当、また、F氏の後に研修を担当していたため、同じお話を2度お聞きしましたが、2度とも同じお話にもかかわらず、筆者を含め研修関係者の行動を揺さぶる結果となった次第です。

その後、筆者はF氏がお仕事をされるH社T事業所を訪れる機会がありました。

その時、F氏が営業関係の仕事からT事業所の重職配属になった時の活動を詳しくお聞きする機会を得ましたが、やはり、F氏が営業から生産技術への配転は“晴天の霹靂”だったようです。

 

生産技術は全くの素人といった状態でこの任に就いたからです。

ここで、F氏が最初に行ったことは、手帳を持ち、現場を歩く行動だったそうです。

その具体的な内容は、職場の班長以上の方々に時間を割いてもらい、現場の問題や今後行うべきことなどを 1人ずつ、十分な時間を取って聞いていったそうです。

 

手帳には丁寧に聴衆した内容をメモされていったとのことですが、その後、部屋に2ヶ月ほど山こもりされ、ご自身の考えをまとめ、それからの行動は極めて早かったそうです。

テーマを示し、ご自身が先頭に立ち、意欲的に関係者を巻き込んで活動を進められたからでした。

このような活動の後、それから1年だったわけですが、班長以上の方々全員を部屋に呼び、大きなビラを開き、「俺、皆から頼まれたこと先頭きってやったよな!」と話されたそうです。

 

なお、驚くことにこの時には、現場関係者一人ひとりに「お聞きしたテーマは私が中心となり、必ずやる!」と現場に約束した内容の全てを終了していたそうです。

このため、班長以上の方々が「この実情に唖然とした」わけでしたが、この時、やがて涙を漏らす状況でFさんにお礼を言い、「後は、私たちがすべき仕事なので、続けて頑張ります」と言ったそうです。

このような活動があって、さらに改善の相談は進み、研修時にO氏が「F氏の活動」という形で紹介した大きな改善効果を得たそうです。

 

また、この経過が、今回のIEリーダー研修の場でのお話、「IEの勉強で議論する暇があるなら、現場へ出て行動しなさい」という内容を技術=手で支える行動を求む! というような表現として話された、とのことでした。

筆者は、実際に現地で、この実情をお聞きした時、F氏に更なる尊敬を持ったわけでした。

コメント

筆者がF氏からお話をお聞きした時、とっさに思ったことは、果たして営業という全く経験のない部署から転属になられたF氏が、「畑違いである生産技術という全く経験のない分野で、なぜ、円滑にお仕事が進んだか?」という点でした。

これに対し、F氏は筆者に「場が違っても、管理という仕事はできます! 上杉鷹山を読みなさい」というお話でした。

今や、上杉鷹山が赤字で苦しむ米沢藩を立て直した話は有名な話です。

 

このようなマネジメント展開の内容が有名になったのは、故・ケネディ大統領によるものです。

下図にその要点を示しますが、故・ケネディ大統領が米国経済立て直しの時、世界中を調査させた結果、「国民のためになり、最も効率の良いマネジメントを展開し、お手本となる事例を調査する過程で発掘した人物」だったそうです。

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この内容は、日本の新聞記者が質問した時に出た話として、今は逸話になっています。

しかしこの時、日本の新聞記者を始め、日本の多くのマネジメント関連を研究してきた著名な方も、その活動を全く知らなかったそうです。

このため、大調査が日本で展開、その結果、江戸時代に、管理肥大と共に赤字を膨大に抱え、倒産企業状態だった米沢藩を、17歳、しかも、全く他藩(九州・日向高鍋藩)にいた若者である上杉鷹山が立て直したことが判りました。

 

鷹山は、雇われ社長の立場で米沢藩の立て直しの任を任された方です。

また、立て直しの要点には多くの条件や逸話があります。

今回のF氏のアプローチに関する内容を拾うと、その要点は、

 

①師である、細井平州氏に実学を学んできたが、実務に展開させたこと

②自らを含め、「火種論」で知られるキーパーソンと共に徹底的に現状を把握して中期経営計画に当たる立て直し策を作成した

③自らが先頭に立ち、革新計画を進めた

という3点になると考えます。

 

その後、F氏とお会いする機会はなかったわけですが、F氏は正にこの内容をH社・T事業所で展開されたという状況を筆者は理解しました。

要は、「マネジメントの立場にある方なら、上杉鷹山が示したように、経験が全くない領域でも、先頭に立ってこの3項目を展開して行けば道を切り開くことができる」という技術手段の活用だったわけです。

現在、筆者は企業の改善支援という仕事をしていますが、この①~③は外部関係者が筆者のような企業や工場革新を進める基本です。

 

この種の技術手段をフィジビリティ・アプローチ(事前調査)といいますが、多分、F氏は営業というお仕事から生産技術革新という全く経験のない仕事に就かれたとき、関係者の力を集め、実を示す題材に①〜③の活用をなさったのではないか? と、推察します。

話は変わりますが、上杉鷹山の行った改革は、その後、多くの経営者が企業革新の技術という形で研究〜利用されてきました。

体系化されたマネジメント手法の活用効果が大きいことが判ってきたからです。

 

その例のひとつとして、読者の皆様には、まだ記憶に新しいと思いますが「日産・ゴーン社長のリバイバル・プラン」による日産自動車の早急な回復劇があります。

下図にその状況を示しますが、ゴーン氏の著書を読むと、

 

(1)実の学をミシュラン時代に多くの方から学び、実践してきた内容

(2)日産改革時に「セブン・イレブン」と言われたそうですが、現場を朝7:00~夜11:00まで歩きまわりながら、「早期立て直しの対象とキーパーソンに会い、実情把握と改革のお願いをしていった活動がリバイバル・プランの基本をなした」とされています。

現場と改善のスピードを柱にされたわけです。加えて、

(3)自ら各種の重点テーマを実践展開し、ぶれないという活動が、下図の成果を創出していったわけですが、時代と、対象は違っても、その要点は上杉鷹山の活動と全く同じです。

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以上、F氏が示された活動の内容は「IEをマネジメント領域でどのように展開すべきか?」という実体験だったわけですが、その基本は「人が何のために活動しているのか?」という信念に支えられるべき点です。

この話をF氏は『良い家を残すより、人を育てる大切さ』という形で、体験と共に、明日を切り開くリーダー達に話をなさったように思います。


昭和45年から平成2年まで、日立金属㈱にて、全社CIM構築、各工場レイアウト新設・改善プロジェクトリーダー、新製品開発パテントMAP手法開発に従事。うち3年は米国AAP St-Mary社に赴任する。平成2年、一般社団法人日本能率協会専任講師、TP賞審査委員を担当を歴任する。(有)QCD革新研究所を開設して活動(2016年有限会社はクローズ、業務はそのままQCD革新研究所へ移行)。 http://www.qcd.jp/