大企業病|元トヨタマンの目
トヨタの歴史は機械化の歴史でもある。そしてそこには、厳格なる哲学・憲法があった。それは機械化を次の3つに区分して考えたことだ。
1.「人の手の作業」
「加工修了後の機械停止」「ワークの取付け」「起動」等々の細かい要素に分解して1つ1つ機械化を進めていった
2.「人の頭の働き」
「機械稼働中の異常検知」について、人から機械へ置き換えた(しかし高度で金のかかるものについては人のままにした)
3.「人の手の作業」と「人の頭の働き」の両方が必要な作業
「異常処置」「品質チェック」「刃具交換」などは人のままとし、機械化は一切考えなかった
かんばんの運用にもこの哲学が徹底されていた。
かんばんとは、何千人もいる作業者の一人ひとりがそれぞれの持ち場で、かんばんの増減を自分の目で見て、異常が判断できるようにしたものだ。
しかしトヨタはそれを電子かんばん化した。
この電子かんばんにより驚異的な在庫低減ができたが、作業者の一人ひとりがかんばんの増減を見て正常か異常かの判断ができなくなってしまった。
したがって憲法を逸脱してしまったのではないかと思う。
もし大野耐一氏がご存命で、電子かんばん化の決裁を受けに行ったとしたら、却下されていたのではないかと想像することもある。
またトヨタの生産管理システムも、「最終的な人の判断・チェック」を前提に構築されていた。
そのシステムを一生懸命覚えたが、キーポイント部分はすべて人に判断させるもので、非常に使い勝手がよかった。
工場の工務部は最終工程であり、設計部や生産管理部でのミスをすべて見つけ出して修正させる検査部門であった。
ところがITバブルのころ、「全部コンピュータにやらしちゃえ」というコンセプトで、本社の方で新しいシステムを作っていた。
「そんなことできるわけないのになあ」と心配になった。
それが完成する前に、トヨタを辞めてしまったので、どうなったかは知らない。
私は、この新システム開発も憲法に抵触するのではないかと思っている。
やはり巨大組織は、必然的に大企業病にかかってしまうのかなあ。