中国企業で面食らったこと|元トヨタマンの目

中国企業で面食らったこと|元トヨタマンの目

「青木さんちょっと会議に来てください」

行って見ると、副社長も参加している幹部会議だ。

そこには新たに現場に掲示する「置場表示」のサンプルがプロジェクターで映し出されていた。

置場表示の案について副社長の決裁を受けているのだ。

(ちょっと待ってよ。置場表示なんて現場が考えて作って掲示してみて、もし調子悪かったらまた変えればいいじゃん。なんで案の段階でトップの決裁なんか受けるのか。聞かれるトップも大変だろう)

中国はこのように何でも上位下達らしい。

これではまるで、戦争で最前線の部隊長から本部へ無線で「どうも右前方に敵が迂回した模様です。発砲してもよろしいでしょうか?」といちいち聞いているようなものだ。

 

またこんなこともあった。

トップの指示が「溶接工程でかんばん方式を完成させ、他のラインに横展せよ」というものだったらしい。

「最終工程の仕掛け順序から平準化させなければ、その前工程である溶接ラインなんかどうしようもないよ。ここだけでかんばんなんか回転するわけない。でも表示としての意味はあるからつくってみて欲しい」とアドバイスした。

しかし溶接工程ではどうしてもトヨタ式のかんばんを完成させたいという。
トップの指示は「絶対」のようだ。

今後も懇切丁寧にトヨタ式の基本の基本を何度も説明しながら進めるしかない。

しかしながらコンサルティングとは実に骨が折れるものだ。

元トヨタマンの目
 
トヨタ生産コンサルティング株式会社


豊田生産コンサルティング株式会社代表取締役社長◎略歴 昭和30年(1955) 愛知県豊橋市生まれ 昭和53年(1978) 早稲田大学商学部卒業トヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車)入社 平成16年(2004) トヨタの基幹職チャレンジ・キャリヤ制度(他社への転出支援制度)によりトヨタを退職(退職時資格は課長級) オーエスジー株式会社オーエスジープロダクションシステム推進本部副本部長就任 消耗性工具(ドリル・タップ・エンドミル)専門メーカーで自動車関連以外の業種の現場改善活動に従事。 平成19年(2007) 豊田生産コンサルティング株式会社設立◎トヨタでの職歴(26年)人事部人事課海外関係人事 3年/財務部経理課輸出入経理、国内債権債務管理 3年/本社工場工務部原価グループ鍛造工場能率・製造予算管理、工場棚卸総括 3年/本社工場工務部生産管理室車体・塗装・組立工場生産管理 4年/米州事業部原価企画グループ北米事業体原価管理、北米生産車原価企画 3年/田原工場工務部原価グループ成形工場能率・製造予算管理、トヨタ生産方式部課長自主研 2年/田原工場工務部生産管理室エンジン・鋳物工場生産管理、トヨタ生産方式部課長自主研 8年◎本社部門(人事・財務・原価企画)9年、工場部門(本社工場・田原工場)17年と本社機能、工場機能のそれぞれを幅広く経験。特に工場では生産管理と原価管理という「石垣」づくりとトヨタ生産方式自主研メンバーとして「天守閣」づくりの両方に長年従事。