長沙にて|元トヨタマンの目
トヨタで26年間仕事をしたが、その間はトヨタ生産方式の学習の時間だった。
私は知能指数は極端に低かった。将棋など先を読むゲームがまったくできない。だからその分、努力してそれをカバーするしかなかった。
トヨタ現場では「先を読む」必要はなく、「現物(現実)をじっくり見て判断し実施し、さらに次の現物(現実)を見て判断する」というように1つ1つ掘り下げていくため、私のような知能指数の低い人間でも、いや低い人間の方がかえって向いているように思う。
先なんか読むと変な雑念が入ってよくない。根気と努力の世界だ。
まためちゃくちゃおっかない上司や仕事がうまく進まないなどで、もう限界だと感じることが時々あったが、なんとか努力で解決してきた。
非常に苦しい毎日だったが、経験年数を積むほどに、トヨタ生産方式が少しずつ分かってきた。
経理部での債権債務管理業務では、かんばんの検収がばらばらのため仕入先との債権債務の照合が簡単にはできないことが分かった。
これはかんばん方式の完全なる弊害だ。
しかしトヨタ経営者は、「どれだけ工数がかかろうがやれ!」と指示するだけだ。
普通の会社なら部下の反発でやめてしまうところが、トヨタ経営者には「哲学」があるため、絶対に変更などしない。
「しかし、仕事の質・レベルは落とさずに、その工数だけは低減していけ」とくる。
その結果、かんばんは電子化されて、この殺人的な債権債務照合作業は現在は消滅してしまった。
その後、行きたくなかった工場への「左遷」。
しかしこれがトヨタ生産方式との本当の出会いだった。それからずっと工場勤務で原価管理、生産管理、自主研活動など広く経験できた。
現場作業者、現場部課長、技術員、人事マン、原価マン、等々事務屋も技術屋も現場も一体になって日々生産活動を支える。やはり製造業を選択してよかった。
ここで本当のトヨタ生産方式を実体験できた。
そんななかでも、自分の仕事だけをこなしていても誰も何も教えてくれなかった。
しかし質問さえすれば、みんな丁寧に何でも教えてくれた。
それに気づいてからは、小さい子供と同じように、「これは何?」「なんで?」「どうして?」「どうなるの?」
もう面白いようにトヨタ生産方式が体の中に入ってきた。
新しい事実を知るたびに、自分の中のトヨタ生産方式の知識のどこかと結びつく。
そしてその絡み合いがすごいことになってきて現在にいたっているような気がする。
極端にいうと感動の日々だったように思う。トヨタ生産方式が土台から自分なりに習得できたことに無常の喜びを感じた。
そんな時、トヨタ生産方式はトヨタ現場で実体験しなければ、真の姿は理解できないだろうと確信した。
しかし世の中の全員がトヨタマンになれない、というようなことを考えていて今の仕事に飛び込んだような気がする。
いま中国企業の中にいる。質問の矢が毎日飛んでくる。それに的確に答えてあげると、やはり感動してくれる(と思う)。
こうなったらあとは簡単、汗をながすだけだ。
そのような質問には本当に基本的なものが多い。
私にとってもあらためてトヨタ生産方式を見直すチャンスだ。答えを考えていると、新たな発見、新たな絡みに気づくことも多い。
そのような時、今更ながら、トヨタ生産方式のすごさ、完成度合いを感じさせられる。
人類が発明した人間が営む企業体の究極のかたちといっても言い過ぎではない。人間の本質まで突き詰めて考えられていて、何から何まで素晴らしいのだ。
50を過ぎて、このような気持ちになれて、これを職業にできて、「同志」を感動させることができるとは、本当にうれしくなる。
「同志」は中国、韓国では増えつつあるのだが、日本ではトヨタ系以外はほとんど目覚めていない。
大丈夫か? と心配になる。
私にとって
「トヨタ式っていったい何なんだ?」
「ああそうか、それじゃあ我が社はムダだらけだ。なんとかしたい」
「いっしょに考えて欲しい」
という同志なら、中国人だろうが、韓国人だろうが、イタリア人だろうが関係ない。
トヨタ式などといっても所詮「ものづくり」のやり方だ。
数学や物理学などと比べものにならないぐらい簡単だ(分かってしまえばだが)。
要は「知りたい! 何とかしたい!」という姿勢だ。
さて中国での自炊生活が始まった。
大学時代は山をやっていたので、山のことを思えば、中国の自炊などへっちゃらだ。
しかし、仕事はあるし、書かなくてもいいブログは書くし、どうも時間がなくてこまる。さて近所のスーパーへ明日の朝食を買いにいってくるか。