信長の功績とトヨタ|元トヨタマンの目
室町時代には、人が集まる都市といえば、まだ城下町はなく門前町が中心だった。
門前町は寺社への参拝客が多く集まるから町として栄える。そこで力を持ったのが寺社だ。
この中世では、多くの権力者が自分の土地へ勝手に関所を設け、そこを通行する者から通行税を徴収していた。
寺社も当然関所を設けたが、参拝客が多く集まるだけに、非常に多くの金を得ることができた。
寺社は門前町の工業も支配した。油とか織物とかを作る業者は「座」と呼ばれる組合のようなものに入らされる。
この座に入っていなければ、それらの製品を作って販売することはできない。この座からは多額のお金が寺社に上納される見返りに、関所の通行料が免除される。
もしも座を無視してその製品を作って売ろうと考える者がいたとする。
彼がそれを売ろうと人の集まる門前町へ入ろうと思っても、街道におびただしく設置されている関所の通行料を払わなければならず、それによるコストアップがおびただしく、座の商品と競争することはできなくなってしまう。
さらに寺社はその既得権を守るため、金にものを言わせて僧兵など雇って武装していたので、座にたてつくような者は命の保障はなかった。このような宗教勢力による経済支配が、物流を大きく阻害し、経済の発展にブレーキをかけ、中世の人々を苦しめていた。
これに鉄槌を加えたのが織田信長だ。
彼は自分の領地では、武力で寺社勢力を抑えて、全ての座を廃止し、「楽市楽座」としたため、商工業が著しく発達した。商工業者が潤うことで、物の値段も下がり、庶民は喜ぶし、信長自身の収入も大きく増える。
その増加した収入で信長が断行することが可能になったことが「兵農分離」だ。
従来は戦闘行動には農民を徴兵していたため、米作の農繁期は戦闘行動を起こすことができなかった。
したがって戦闘行動は秋の刈入れ後から春までの間にしかできなかった。
もし農繁期に戦闘行動を起こせば、農家は労働力を失い収穫が減少してしまうのだから、領主も自分で自分の首を絞めることになってしまう。
信長は増加した収入で兵士に給料を払い、彼等を農業労働から開放し、軍事専従にすることができた。
織田軍は農繁期、農閑期の区別なく戦闘行動を起こしだしたのだから、旧体制のままの他の軍団が織田軍にかなうわけがない。
確かに農民兵の方が故郷に田畑と家族を人質に取られていると同じだから、逃亡もないし、必死に戦うから強かったであろう。
逆に織田軍の方が傭兵が多く弱かったようだが、そんなことは金があればなんとでもなる。数倍の兵力であたればよいのだ。
武田、上杉、毛利などが強かったのも、領地に金山や銀山があって金が黙っていても手に入ったからであるという。
話がわき道にそれるが、このことは今の自動車業界にもそのまま言えると思う。
トヨタはトヨタ生産方式という物づくりの究極の体制により、日々進化し続け、原価を下げ続けている。
その他の会社は、それぞれ独自の生産方法で造っているが、原価低減はそれほどでもないようだ。
車の販売価格は市場が決めてくれるので、どの会社の車でもグレード別には同じと考えればよい。
販売価格と原価の差額が利益になる。
ということになると、トヨタには他の企業以上の利益が潤沢にたまり、研究開発や設備投資に思う存分振り向けることができるわけだ。
そしてそれらの差はさらに広がる。
さて信長は、自分の領地が増えるごとに「楽市楽座」「兵農分離」を拡大していった。
旧勢力の既得権は、信長のみならず民衆にもその利益が分配された。したがって民衆の指示も信長にあったからこそ、そのような拡大が可能になったのだ。
しかし既得権を奪われる寺社勢力も死に物狂いで反抗する。
浅井・朝倉軍が比叡山にたてこもり反抗した。旧体制の農民軍団と既得権を奪われる武装宗教勢力が合同で反抗したわけだ。
そうなれば信長も比叡山に攻め込まざるを得ない。信長は「宗教」と戦ったわけではない。
「宗教の名のもとに、経済を停滞させたままで民衆から絞り上げるだけの既得権益を守るために、武装した集団」と戦っただけである。
その証拠に、信長から民衆に対して天台宗なり一向宗なりの禁教令は一切出されていない。批判されるべきは、崇高な宗教を傘にきて私利をほしいままにした武装集団の方ではあるまいか。
後世の興味本位で真実を追究していない歴史ドラマは信長を神仏をも恐れぬ天魔のように描いているが、これは間違いではないだろうか。
また信長が堺などの貿易港を手中に納めたことで、信長の優位は決定的となった。
それは鉄砲の火薬をつくる硝石は日本では一切産出せず、全て海外からの輸入に頼っていたためだ。
したがって満足な貿易港を持たない武田などの東国武士団が鉄砲本体をどれだけ揃えても、火薬が思うように手に入らないのでどうしようもない。
このような視点から見てみると、実際に目に見える戦闘の内容をどんなに分析してみても、最終的な勝敗はまったく分からない。それはまさしく「どれだけ優れた政治を行い、それにより経済を活発にし、民衆に正当な利益をまわしているか」ということによることが分かるであろう。
そのことは第2次世界大戦をはじめとして、歴史上の戦争の全てに言えるような気がする。戦端が切られた段階で勝敗は決まっているのだ。
トヨタは競争が最も熾烈な世界の自動車業界のなかで今まさに完全勝利しようとしている。私は、偉そうな言い方かも知れないが、トヨタに入社して、GMなどとも接触して、早い時期に今日のトヨタの世界における位置が予想できた。
これはトヨタ幹部は全員がそう思っているが、私のような多弁な人が少ないため外部の人にはよく分からないだけのような気がする。
信長も「天下布武」と目標設定しただけあって、その勝利の最終的な姿を完全に頭に描き、確信し、さらに現状を徹底的に分析・把握して、その問題点を全て明確にして、それを1つ1つ潰していった。
まさにトヨタ式問題解決手法と同じような気がする。