トヨタで教えられた先達の教訓6.7.8.9.10.11.12.13|元トヨタマンの目
6.私は天才ではない(豊田佐吉翁)
わしは他人より余計に創造的能力に恵まれているわけではない。
すべて努力の結晶だ。
世間はその努力を買ってくれないで天才だといって片づけてしまう。
私には遺憾千万。
7.知識を消化し、いかに自分のものにしているか(豊田喜一郎氏)
父は頭の人でなく、努力の人であると感じた。
この点では、われわれは遠く及ばない。
今の学校では知識は有り余るくらい詰め込まれる。
しかしそれが消化していない。
消化される暇がないうちに次々と詰め込まれる。
それを蓄音機的に出しうる人が成績優秀であり、社会から認められる。
発明は知識そのものよりも、それをいかに消化して自分のものにしているかにかかわる。
学校を出ない人が往々にして、相当な発明をすることはそれ故である。
(ちなみに、喜一郎氏は東京帝国大学工学部卒)
8.努力の中に発明が生まれてくる(豊田喜一郎氏)
どんなに優れた発明も、これを世の人のために活用し得るまでには、いろいろな研究がそれに付随しなければならない。
そこに大きな努力がいる。
その努力の中に発明が生まれてくるものだと私は思っている。
9.盗んでもだめ(豊田喜一郎氏)
図面通りの機械はできるかも知れないが、我々はより良い物を造っていこうということで、一日一日改良している。
盗んだ図面をもとにして機械を造ったころには、我々はその先を進んでいるし、また、盗んだ側はそれを改良するとしても、失敗の経験がないから、我々と比べれば相当無駄なことをしなければならない。
我々は継ぎ足せば良いのだから、図面を盗まれたことを心配することはない。
(解説)
豊田自動織機で、ある時、図面を持ち逃げされたことがあった。
10.同じ失敗を二度繰り返すな(豊田喜一郎氏)
一度の失敗はその大小を問わず問題はない。
しかし再発防止を徹底的に考えて、同じ失敗を二度繰り返してはならない。
11.何をやっても良い、但し責任を持て(豊田喜一郎氏)
12.豊田が失敗しても、次の事業家が引き継ぐ(豊田喜一郎氏)
わたくしの計画には、もちろん、少しのスキもないつもりです。自信もあります。
ご当地につくらせていただくのは、本格的量産工場で、それだけに危険もあるかもしれません。
しかし、万一、豊田がこの事業に失敗しても、第二、第三の事業家が出て、工場や設備は利用されます。
挙母(ころも:現豊田市)の発展にとってプラスになることはあっても、マイナスになることにはならないと思います。
(解説)
昭和9年、挙母町との工場建設申し合わせ書の締結にあたり、豊田喜一郎氏の挨拶
13.背水の陣(豊田英二氏)
外国車と提携なしでやろうということは、相当な背水の陣だった。
すべてがまったく新しいことだった。
設計、製造、全部新しく最初から始めなければならず、失敗が絶対に許されない状態だった。とにかく、絶体絶命の気持ちでやった。
(解説)
戦後、トヨタが立ち上がるきっかけとなったクラウンを、純国産技術で開発することを決意した時の気持ち