3月8日は女性の日で縫製工場はおやすみでした。
※当コンテンツはCBC Laoの提供でお届けいたします。
3月8日は女性の日で縫製工場はお休みでした。この女性の日は、企業などでは、女性は必ず休まなければならないことになっています。また、男性は、本来、働くことになっていて、休日ではないのですが、「職場で女性がいないのあれば仕事が回らない」「男性も一緒に休んで男性が家事をすべてしないと女性は休めない」などの理由などで、ほとんどの企業などで男女ともにお休みになっています。
この女性の日には、飲食店などで女性が優遇されるキャンペーンが行われたり、女性から電話がかかって来たときに「女性の日おめでとう」と男性が言ったり、女性同士のいわゆる飲み会などのパーティが開かれたり、家族がいれば男性が女性をどこかに連れ行ったりする日となっています。また、ラジオのニュースなどでも、この女性の日の前後には、女性の日の歴史が紹介されたり、男女平等の実現される社会が語られたりします。そういう意味で、この助成の日は、国全体として、女性に感謝しようという気持ちが表れる日です。
ちなみにこの女性の日のお休みでは、日本では馴染みには少ないですが、世界では特に共産主義の国々では大切なお休みになっているそうです。この女性の去年のブログでも紹介しましたが、下の文章が女性の日の経緯について、よくまとめられているので、紹介します。
去年の女性の日のブログ:http://cbclao.readymade.jp/cafe/html/art/00070.html
“The week’s strike is taking International Woman’s Day Back to Its Radical
http://www.slate.com/articles/double_x/doublex/2017/03/this_week_s_strike_is_taking_international_women_s_day_back_to_its_radical.html
「最初の公式としての女性の日は、1909年に、ニューヨークで一日開催のいくつかの大きなイベントを開催したアメリカの社会主義者の人々によって宣言されました。主催者は、2月28日の日曜日を選んだため、働く女性も参加することができました。そして、うまくいきました。そのイベントは、優先順位や戦略をめぐって過去に何度か衝突していた婦人参政権論者や社会主義者を含む、何千人もの人々を惹きつけました。「女性の義務が、家庭や母性に集中するというのは真実です。」ブルックリンの群衆の中で作家で改革者であるシャーロット・パーキン・ギルマンは言いました。そして、次のように続けたのです。「しかし、家庭は、すべての国を意味します。市や州の3つや4つの部屋には制限されません。
2,3年の間に、労働や女性の権利に関係する大義のための「女性の日」のコンセプトは、ヨーロッパへと伝わっていきました。統計の中には、100万人以上の人々が、1911年3月19日の集会に出席したとするものがあります。1917年には、ロシアのフェミニストのアレキサンドラ・コロンタイが、皇帝ニコライ2世の退位とロシア革命を引き起こす大きなデモを導きました。敬意を表して、レーニンは1922年に、女性の日を公式の祝日にしました。中国とスペインの共産主義者も、公式に、女性の日を祝うことを始めました。1960年代半ばまで、国際女性の日は、共産主義者の祝日として残っていました。1975年には、国連が、公式に、国際女性の日を3月8日として認めました。」
女性が大半を占める縫製工場であるCBC Laoはこの3月8日お休みになりました。多くの女性職員の多くが、「この日は男性がすべて家事をしなければならない」「男性は女性をどこかに連れていかなければならない」と言っていました。(もっとも、家庭にもよりますが、男女共働きが多いラオスでは男性も当然のように家事を担っています。)
ただ、実際は、子供の面倒などを見て、そんなにくつろぐことはできないようですが、それぞれの家庭で、家族との時間を楽しんだ職員が多いようでした。
ところで、CBC Laoは3月8日はお休みになったと書きましたが、洗い屋さんは、仕事をしたそうです。荒い屋さんは、縫製工場と違って、男性職員が大半を占めるので、男性職員だけで工場を回していくことができるようです。法律上でも、3月8日は男性はお休みになっていないので、これが本来の姿かもしれないです。