背番号|元トヨタマンの目

背番号|元トヨタマンの目

かんばん
48497f95-s

 

背番号品番と背番号
6b1399b4-s

 

工業製品を製作する場合、非常に多くの部品を必要とする。

それらすべての部品にはそれぞれ品番というナンバーが付与されている。

そのナンバーの数字の意味は、設計部の方の都合でルール付けされる。

 

工場の現場や生産管理の立場としては、品番は桁数が多くて覚えきれない。

そこで部品発注のニーズのみで、ニックネームをつけることを考えた。

工場にはいくつもの、部品受け入れの基地がある。

その基地単位で部品メーカーごとに連番を付与することにした。

 

田原工場 N1部品受入 デンソー 背番号1 品番23456-99876-00
田原工場 N1部品受入 デンソー 背番号2 品番21346-33421-01
田原工場 N1部品受入 デンソー 背番号3 品番11152-92676-00
田原工場 N1部品受入 デンソー 背番号4 品番21333-33112-01

田原工場 N1部品受入 アイシン 背番号1 品番11231-33423-00
田原工場 N1部品受入 アイシン 背番号2 品番66645-11421-01
田原工場 N1部品受入 アイシン 背番号3 品番33422-32146-00
田原工場 N1部品受入 アイシン 背番号4 品番21111-11912-01

 

トヨタ現場……トヨタ生産管理……デンソー生産管理の間では「田原 N1 背番号3」と言い合うだけで、該当製品は特定できてしまう。

河北省のこの会社では、まだ品番で部品発注業務をやりとりしていた。

早急にトヨタ式背番号の導入を行ないたい。

 

P.S.

はじめのころはこの略番をかんばんの裏側につけていたため「背番号」と表現したそうだ。

大野耐一氏は当初この背番号を許可してくれなかったそうだ。

「現場は品番を覚えて一人前だ」という感じだった。

しかし部下達の必死の説得でなんとか許可してくれたとのこと。

神様を説得したのだからたいしたものだ。

この話は私が担当者の頃の課長から聞いた。


豊田生産コンサルティング株式会社代表取締役社長◎略歴 昭和30年(1955) 愛知県豊橋市生まれ 昭和53年(1978) 早稲田大学商学部卒業トヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車)入社 平成16年(2004) トヨタの基幹職チャレンジ・キャリヤ制度(他社への転出支援制度)によりトヨタを退職(退職時資格は課長級) オーエスジー株式会社オーエスジープロダクションシステム推進本部副本部長就任 消耗性工具(ドリル・タップ・エンドミル)専門メーカーで自動車関連以外の業種の現場改善活動に従事。 平成19年(2007) 豊田生産コンサルティング株式会社設立◎トヨタでの職歴(26年)人事部人事課海外関係人事 3年/財務部経理課輸出入経理、国内債権債務管理 3年/本社工場工務部原価グループ鍛造工場能率・製造予算管理、工場棚卸総括 3年/本社工場工務部生産管理室車体・塗装・組立工場生産管理 4年/米州事業部原価企画グループ北米事業体原価管理、北米生産車原価企画 3年/田原工場工務部原価グループ成形工場能率・製造予算管理、トヨタ生産方式部課長自主研 2年/田原工場工務部生産管理室エンジン・鋳物工場生産管理、トヨタ生産方式部課長自主研 8年◎本社部門(人事・財務・原価企画)9年、工場部門(本社工場・田原工場)17年と本社機能、工場機能のそれぞれを幅広く経験。特に工場では生産管理と原価管理という「石垣」づくりとトヨタ生産方式自主研メンバーとして「天守閣」づくりの両方に長年従事。