機械の歴史 NC工作機械の開発は虫眼鏡で図面を調べた
米国で生まれたNC工作機械
現代の工作機械はほとんどNC化されている。ここでNCとはNumerical Control (数値制御)の略であるが、情報技術としてはデジタル制御方式である。これの対極にあるのはアナログ制御で、初期の自動制御工作機械ではモデルの輪郭をなぞって加工する倣い制御方式が先行していた。これに対してデジタル制御はコンピュータの出現と共に開発された技術である。これを工作機械に取り込もうとする動きは米国において1940年代の初期に1軸の運動をプレイバック方式で追従制御したのが最初とされている。それの先鞭を付けたのはJohn T. Parsonsで、彼はヘリコプターのブレードの加工にこの技術を使おうと考えた。そして空軍の援助を得てM.I.TとGEの協力により、1952年に制御コードを穿孔紙テープで読み込むNC制御フライス盤が開発された。
日本で最初のNC工作機械
この情報は東京工業大学精密工学研究所の中田孝教授の興味をひいた。中田教授の専門は歯車であったが、そのころ日本では自動制御の研究があちこちで始められていた中で中田グループも勉強会を開いていた時にこの情報が伝えられ、同じ物の開発を進める気運が高まった。研究の手がかりはScientific American vol.187,No3に掲載されたMITの成果報告で、これの徹底調査から始められた。グループはこの論文の掲載図を詳細に調べ、虫眼鏡を使って電子回路を読取り、テープの穴の持つ意味について検討したと伝えられている。このようにして作られたサーボ機構は油圧式で独特のD-A変換器を持っていた。これにより池貝鉄工製の油圧倣い旋盤を改造したNC制御旋盤が1956年度に完成した。これが我国最初のNC工作機械であるが、独力で完成したとはいえ中田教授も回想しているとおりMITのコピーであった。
進化を遂げる日本の工作機械技術
東京工業大学の研究は文部省の予算で行われたが、通産省はこの技術を産業界に普及することを目的として特別研究に取り上げ、フライス盤とジグ中ぐり盤の開発が1956年から行われた。研究主体は工業技術院機械試験所があたり、国内の工作機械メーカと電機メーカの協力体制を組織した。フライス盤は将来の発展の可能性を秘めた工具通路の連続制御を行う3軸制御の技術開発を目的として開発対象に撰ばれ、サーボ機構として、電気式と、油圧式の2方式が試作された。機械本体は牧野フライス製と、日立精機製の既存品を用い、制御方式の研究に重点が置かれた。これは既存の工作機械に取り付ければNC制御ができる制御装置の開発を狙った物で、(株)ファナックの基礎技術はここで培われた。
一方、ジグ中ぐり盤が撰ばれたのはデジタル技術による位置決め制御の限界を究めることを目的としたもので、この機械が必要とする高い位置決め精度の実現の可能性を探るためであった。ここでは機械本体を機械試験所と三井精機(株)が協同して試作し、NC工作機械に必要な機械構造を追求すると共に、位置決めのための駆動機構や、制御方式などが追求され、我国独自のNC工作機械が1959年3月に完成しJidicと名付けられた。通産省が主導したこの研究プロジェクトはその後の我国のNC工作機械技術の土壌となった。
1) 日本機械学会誌、Vol..61,(1958-6),.No.473,p5-12
2) 機械試験所25年史、機械試験所(1963),p161-174
※当コンテンツは、矢田技術士事務所 矢田恒二 様よりご寄稿いただきました
出典:矢田技術士事務所