新人教育と、育たない部下の扱い
4月(年度始め)になると、各社で新入社員の教育が開始されます。
JMAでも、マナーの教育と生産現場に配属される方々が、仕事をする上で必要な技法を学ぶ研修が実施されてきました。
研修に来られる方々を拝見すると、目が輝いている方、それとは逆に、学生時代の名残を残し、講義となると眠気との戦いをしている方がいます。
この研修は、まだ、企業の内容がわからない方々に取っては異分野の話をしていくわけですから、担当する講師の責任も、大変なことだと思うわけです。
なお、この種の研修で講師が話す講義時間(話)は13分半が限度です。
この時間はテレビのコマーシャルからコマーシャルの間の時間ですが、この時間を過ぎると、学生時代は何か、他のことを介入しないと飽きるという現象が出てきます。集中度が落ちるわけです。
このために、担当講師はこの時間内に要点を研修生に伝え、実習などで中身の充実(理解を深める策)へ移します。
この傾向、すなわち、13分半を越える講義の悪影響の発生は年を追う毎に顕著になっているようです。
ある方が、「小学校教育では長い話をすると、子供達が我慢できないで暴れたり、走ったり、お互いに話し出す現象となる」と言っていましたが、このような話を聞けば聞くほど、この傾向の強まりを強く感じる次第です。
ここで、このような研修で評価の高いNさんの体験談を紹介することにします。
Nさんによると「新人は入社した時が大切である!」と話しました。
筆者も然りと思う経験を持っています。そこで、似た経験を持つNさんの話を紹介することにします。
「新人は入社した時、最初にあった人の影響を大きく受けます。従って、講師は態度をいつもより正す必要があります。
私の担当する期間はたった2日間です。しかし、研修の後、多くの方がお礼をくれます。
なお、研修生には、終了時に感想文を書いて企業に持って帰っていただきますが、内容は、今後やるべきことをまとめ、会社へ提出願ってきました。
私はその姿を見て是非、産業人として、健康で夢を実現し、社会に役立っていただきたい! と思う次第です。
さて、このような研修の後、各社における部下の育成はどのようになっているのでしょうか? 多少気になります。
毎年、同じ会社が研修生を送り込んでいただいていることから、多分、私が行ってきたことを評価していただいているのではないだろうか? とは思っていますが、いつも、研修時に心配になる内容です。
私が企業在勤時代、幸いに、私の場合は多くの部下の方々と仕事をさせていただいてきました。
しかし逆に、私が勉強になることが多かったし、皆も、今は立派な仕事をされている状況です。
私自身も若いとき良き上司に指導を受けたことは今も感謝しています。
私の場合、入社した企業で、親切で、実力があり、人間的にも魅力がある先輩が隣の席におられ、いろいろご指導を頂きました。
そのため、マナーや仕事の進め方の上では苦労したことは一度もありません。
上司の指導が的確だったおかげですが、今も、同じ位の年齢の方がつまらないことで、また、仕事の成果と関係ないところでつまずく例を見ると、改めて、先輩のご指導内容に感謝しています。
だが、この先輩の言によると、『君が僕の隣に来て指導教官となった時、あの時は緊張したよ。一般的な話だが、“新入社員は最初に指導を受けた上司に似る!”という、お話でした。
そして、“悪い場合には、それを一生引きずるぞ!”というわけです。この状況は、丁度、卵から生まれたアヒルが猫を親と間違えて、後を追っているようなものだ。
アヒルはしばらくして気づくかも知れないが、人間はアヒルの恰好をしていないので複雑だ。君を指導する間、僕には人に馬鹿にされるような失敗も、不作法な事例も無かったことが幸いだった』と話された時には、先輩が私のことを心配しつつ面倒を見ていただいた点に改めて感謝したわけでした。
この話は重要です。どんなに良い研修を受けても、職場に戻ってから始めてつく上司の影響は“極めて”大きいからです。
私も、企業在勤中、ある工場へ転勤となった時のこと、私と同輩で優秀な課長の下で仕事をしてきた数名の新人が、私の職場配属歓迎会の時に歌った歌、当然、カラオケですが、歌い方まで全員似ているのには驚いた次第です。
この方、仕事の仕方は新人ながら抜群でした。これも上司の真似なのですが、仕事だけでなく歌の歌い方まで似てしまうのか? と、当時は思いました。
このような上司につけば、歌が似る位はなんでもない。
若いうちに悪いクセ、仕事ができないクセがつくと大変です。治せないからです。
私も、恥をしのんでお話させていただきたいのですが、一旦ついた悪いクセを持った部下を苦労しながら指導したことがありました。
残念ながら、その方については私の実力不足で、部下の育成が十分にできなかった体験を、今も深く反省しています。
では、その話をさせていただくことにします。
この方ですが、人柄は良い方で、名前をA君といいます。企業入社4年、大学も良い。
しかし、仕事とマナーが幼稚なのです。
A君が本社・生産技術部に勤務する私のところへ送られてきた時、送り先の部署からは「企業感覚とマナーを、仕事と同時に管理改善の技法を身につけ、将来は工場で活躍して欲しい!」という要求でした。
ところが、まず、驚くことが起きました。
それは、東京の本社に際し、勤務配属当初はマンガ持参の出社だったからです。そこで、即座に本人に話し、納得を得て修正しました。
その後、仕事の方も実力をつけてもらいました。
A君の仕事の内容には不満は無い。しかし、最後まで企業感覚だけは、彼につけることができなかったわけです(反省)。
なお、この当時、同じ時期に高等専門学校出の6年選手B君が配属されてきました。
この方は、入社以来、良い上司に恵まれなかった方です。このためか? 仕事の成功談は少なく、どちらかというと最初に担当した仕事の失敗経験が自信を失わせ、新しい仕事へのチャレンジには消極的でした。
しかしB君の場合、マナーもよく、配属後に難しい仕事が成功し、その内容が皆に褒められるようになっていくにつれ、徐々に実力が発揮され、見違える程に実力を高めていきましたが、これは全て、ご本人が努力した結果です。
だが、A君の場合、B君とは状況が全く異なっていました。
指導に手を焼くとまでは言いませんが、まずマナー、次に仕事に対する真剣さが不足している状況で時間が過ぎていったからです。
また、プライドの高い大学出のA君の場合、私の力では指導してもその内容が身につかなかったわけです。
A君は頭が良く、改善手法の修得は見事でした。
しかし、仕事に当たっての感覚や人との接し方の面はトラブル続きでした。
私が懇切丁寧に対策と進め方を教えても実施できない状況です。また、丁寧に教えても、教えたことが、すぐに後戻りする状況でした。
このため、結局、1年に満たない期間で、もとの職場へ引き取ってもらうこととなりました。
本社スタッフとして一人で仕事をする我々のような仕事は、マナーと、仕事に対する姿勢が相手に大きく関係します。
特に、工場から本社スタッフに依頼してくるプロジェクト・テーマはセッパつまっての依頼です。
それを、誠意ない態度や、無責任・実現可能性のない回答をしていると、相手にとっては、“やる気が無い”とか“軽視されている”ということになります。
仕事の成果に関係ない内容が、人間関係の面でつまずきとなるわけです。こうなると、私は、その火消しで多忙になります。
では、『なぜ? A君にその種の仕事を任せると、そのようなトラブルが起きてしまうのであろうか?』
当然、私の指導力不足が関係するわけですが、私がカバーできなかった内容を含め、その苦心談を紹介することにします。
問題の本質に気づいたのは、次のような話をA君とした時のことでした。この時には依頼先よりクレームがきたこともあり、まず、それらを私が出向いて処理した後、数日して、問題が鎮静化してからの、ある時のことです。
A君と一杯飲みながら本音でジックリと話をしたわけです。
話は、失敗を再発させない対策だったわけですが、彼には、新入社員の時に良き先輩がいなかったことが関係していたことが判ってきました。
この時、私はまず、不幸な環境で育ったのだなと、気の毒に思ったわけです。A君の話は次のような内容でした。
『私のアダナは坊や! です。私の方から言わせてもらうと、“先輩達は俺を馬鹿にしているな”と思いました。
しかし、一応面倒をみる担当は数名いました。だが、直属の上長はなく、また、私には決まった仕事はなく自由でした。
仕事は楽でした。毎日、PCをたたいていれば1日が過ぎたからです』
『そのアウトプットは何に使われたの?』
『単なる書類作りです。内容の是非は全く問われません。大した仕事ではなかったですよ。
私はPCの仕事は嫌いな方ではありません。1日中PCの前にいて、疲れたらタバコを吸う、まわりの仲間とシステムの中身を話す。
わからないとコンピュータ室へ行く、そうすると、忙しい中ですが、先輩が話しかけてくれる。
そうするとコンピュータの中を深く知ることができる。そのようにしていれば、人に干渉されることもなく、第一、コンピュータは文句を言わないので会社で遊べるわけです。
何もすることが無ければ同じ書類を作り変えることをやっていれば、それなりに1日が過ぎます。
それでも、自分として結構良い資料ができ上がると、周りの人に見てもらう。そうするとまわりの方が改良のヒントをくれる。
その改良内容を、時には頼まれた書類作りの中に利用すると誉められることがありました。私は会社でそうやって育ってきました。
指導担当の先輩とひと月に1回ほど話をすることはありましたが、特に厳しい内容はありませんでした』
『その先輩の仕事を手伝う命令は無かったの?』
『上司自体が多忙で、重要な仕事に私を参席させてくれることなどあろうハズがなかったわけでした。せいぜい、コピーや清書、資料づくりの手伝いですよ。
このため、入社してから1年程、特に仕事はなく、コンピュータで遊んでいたというのが実情です。その後、配属が変わり現場で仕事をいろいろやりました。
ほとんどは手伝いのような仕事です。ここでは、たまにですが叱られたり、お説教を喰らいました。しかし大体は、皆、親切で楽しくいろいろ経験しました』
『あなたは、何が仕事として自慢できるのですか? いや、身に付けたのですか? 同輩で私が知っている方は、立派に業者の方々と打合せ、自分の設備を現場に投入し、責任を持った仕事をして会社で活躍していますが』
『そうですね、PCの扱いが人より上手に使える程度です。特にそれ以外はありません』
『しかし、PCの扱いとなるとコンピュータ室の同期の方の方が仕事に詳しいでしょ!』
『そう言われると弱イナー、先輩、本音ですが、最初この会社に入る時は、厳しい会社だ! と言われました。しかし、入社してみると、仕事はそう厳しくはなかった。
同期の彼らは頑張っていますが、私と考えがちがいます。同じ会社で仕事するなら、厳しくなく、自由な方が良いですよ!
上司や仲間に叱られる。期限に追われる。責任がかかる。人との調整をしなければならない。まるで学生の時に試験地獄で追われた内容そのものではないですか!
私はこの職場へ来て、あなたから責任を持つ仕事を一人で担当させられました。こんな苦しい仕事をしたのは入社以来始めてです。
しかも、うまく行かない。クレームがきて、上司である貴方が解決してくれて、ホッとしています。
もう、あの職場の管理者には二度と会いたくない。第一、私と肌が合いません。
しかし、あの現場の方々は私に親切にしてくれましたので違います。現場の作業測定や改善提案の会話は楽しく、時間を取って話をしてくれました。
でも、そのようにしてまとめた提案を見て、あの上司は、“この案は良いが、この案は甘えだ! 企業人ならこの内容は我慢すべきだ、もう少し具体的な内容を示して現場を説得するように”と言うわけです。
私はあの職場の従業員でも上司でもありません。しかも、そのような説得をしたら、現場の人には管理者の回し者と考えられて、嫌われてしまいますよ……』
『どんなこと、それは?』
『仕事が単調なのでバック・ミュージックをかけさせて欲しいといった類の現場要求です』
『その内容は、かつて実施したがエスカレートしたことがあった。要は、職場が仕事中なのにミュージック・ホールのようになって、あの職場では止めたそうだ。
しかも、派手な曲を皆が好きというわけではない。集中を要する仕事なので止めたそうだ』
『その話も聞きました。3年前のことだそうです。
でも、現場の女性のPさん、美人で私に親切にしてくれる方ですが、“それをやった人は出産と共に退職したし、時代も変わった、全員今は、過去の教訓があるので同じことは繰り返さないよ!”と提案してくるわけです。
あの人の意見を潰し嫌われたら、職場の改善を続けても面白くないですよ!』
『しかし、企業は上司の方針で動くだろ、多少の矛盾はあっても、全体的に良い方向に動くことが大事だよ、集団で仕事する以上、全てを満たすことはできない。従って、そのような意見は無視せざるを得ないことがあるわけさ……』
『それは、わかります。しかし、私は、そのようなことが嫌いなのです。
それより、今回は不良が出ない仕組みを考え、○○日迄にCさんをモデルにテスト的な教育をして欲しいという要求があったのです。
Cさんは“私のマナーができていない!”と厳しい上に、私に対する要求が強い。しかも、“残業の後でないと君の仕事を手伝えない!”といってくる状況です。
あの方に付き合っていると、いつも叱られているような気がします。
第一、折角地方で仕事するのにCさんと仕事していては、夜の遊びに行く予定が仲間と組めないではありませんか?』
『それは別だよ。我々は期間を切って援助しているわけだし、期限内に成果が見える提案をしなければならないからね……』
『この仕事、それが嫌なのです。勉強中は楽しいのですが、仕事が始まると人間無視の仕事になりますよ!』
『しかし、組合規定は犯していないよ。仕事時間が遅い場合は時差を取るし……』
『私のリズムに合わないわけです……』といった具合でした。
この話で私は、A君は今やっている仕事が好きでない、ということが徐々に判っていったわけでした。
また、本人も、本人なりに努力はしてみたが、『今回の仕事は自分に合わない!』と考えていることに気づいたわけです。
この時、同じ時期に私の所へ配属、訓練を受けている高等専門学校出のB君は2つ程の仕事を立派に仕上げ、もう独り立ちしても大丈夫、というまでになっていました。
そこで、私はB君とも話すことにました。B君もA君と同じ悩みを抱えていたようだったからです。
しかし、仕事の成果が彼の仕事に対する考え方を変えてくれると信じていた。
事実、悩みは仕事の成功と共に消え、私がいじめているのではないか? と思っていた思いは既に消えていました。
B君の場合は、最初の仕事が成功した時、指導内容に感謝を述べるために、B君から招待を受けてお酒を御馳走になったこともありました。
しかし、今回の飲み屋での話は、その後かなり時間を経過しての状況です。また、私はA君の内容をB君から聞きたかったからでした。
B君もA君のことが気になっていたようで、いろいろと話をするうちに、やがて、どちらからというわけではないのですがA君の話となりました。
『今だから言います。正直言って、あなたは私たちに厳しい。このため、私たちは上司であるあなたの悪口を飲み屋で随分話したものです』
『判った。厳しくて申し訳ない。しかし、その種の会話はサラリーマンの常だよ、私も若いとき上司の悪口を飲み屋でよく話したものだよ。部下の特権さ、管理者になると給与に入っているそうだ! だが、それはたいしたことはない。
ところで、A君のことが心配だ。彼、数日前、今日のように私と十分時間をとって本音の話を聞いたが、今回の本社の仕事には合っていないようだ』
『そうですか? 彼はこの前、悩んで、ある転職紹介所とメンタル・ヘルスをする機関へ行ったそうです』
『そうか、そこまで……俺の責任だな』
『彼は、今回の仕事の失敗で自分の責任を強く感じたそうです。“このままだと、ノイロ-ゼになる!”“会社を辞めて、自分の適職を探すべきかもしれない”と言っていました』
『そうか! 困ったな……』
『私は以前とは違います。この仕事で将来が開けました。ものの見方も大きくなりました。だが、彼は違うようです』
『それは確かだ。私が言うだけでなく、この前に君が担当した工場のD部長から君の仕事に感謝する話を聞いたが、君はもう、任せても立派に仕事ができる! 本当に短期間で大きく育ったと思う。うちの部長もそう言っていたよ!』
『ありがとうございます。それよりA君ですが、私は彼に私の体験や考えを話しました。
でも、話すうちに、私のことを、どうも、この人はもう身内でなくなった! と思ったようです』
『そうか! 君も気を使っていてくれたのか? ありがとう』
『ハイ、仲間ですから。また、何とかしたかったものですから』
『でも、その日はカラオケを2人で歌い、大いに飲んで明るく帰りました。その後、私は出張と特急の仕事でしょ。
彼の悩みを聞く暇がありませんでしたが、隣で彼を見ていて思うのですが、A君の悩みは益々深まるようでした』
『そうか?』
『彼は何がしたいのだろうか?』
『一人で人に余り干渉されない仕事だそうです。人間関係の全くない仕事をしたいのだと思います……』と、このような話がB君から聞いた内容でした。
その後、私は上司である部長とA君のことをじっくりと話しました。
だが、結論は早期に工場へ戻ってもらう。成功体験を持って出身工場へ凱旋帰国するためのテーマを私が探す。
部長から出身工場の帰り先と仕事の交渉に入ってもらうが、彼が伸びる分野としては個人業であるが、設備保全のようなドロ臭いが彼の仕事が感謝され、技量がつき、個人的工夫が進む職場と共に、良き指導者をつけていただくこと(事実、私は、私と異なるタイプだが、腹の座った人育ての名人がいることを知っていた)が彼のためになる。
設備関連の方はコンピュータを扱うが、やがて人間関係も必要になる仕事だ、また、間接的だが、設備が止まる問題を見て、自然と企業感覚が身につく可能性が高い。などを話し合い、極秘の内にもとの職場に戻っていただくことを進めたわけでした。
このような時、折しも運良く、コンピュータを活用したシミュレーションをある工場レイアウトの検討と共に進める話が舞い込んできました。
そこで、早速、彼の教育と共に彼が成果を挙げてもらう内容をスタートさせました。
新言語を使い難しい内容ではあったが、この仕事をする彼は水に放った魚状態、やがて、大変に良い内容を短期化に完了させてくれたわけでした。
A君の本領発揮だったわけです。仕事は関係者に誉められました。
そこで、この種の仕事が山のようにくれば、今後も彼にはこの仕事を続けて欲しかったわけですが、この種の仕事は2年に1回程度です。その間、遊んでいると、また彼の落ち込みが始まります。
そこで、当時、会社方針で進めつつあったコンピュータを設備自動化へ結びつける仕事の勉強を願いつつ、即座に出身工場へ凱旋帰国願ったわけでした。
彼はその後、製造現場で設備保全の仕事の担当に就きました。
また、結婚しました。このためか? 仕事の責任感も出たようです。
今はA君、仕事はできるので、周りの人々からは感謝され、転勤の後、彼は『人生で始めて適職に就いた』と思っているようです。
工場では多くの方々が多くの仕事をしています。この意味で、自分の人生観や目的に合った仕事に出会える機会が多いわけですが、出会えた方は幸せです。
同時に、入社時に上司に恵まれない部下や、周りの方々がここに記載したような苦労をする……」というのがNさんの話です。
コメント
2010年現在、失業率が5.5%、また、氷河の時代という言葉に代表されるように現在30歳半ば、バブル崩壊時代に就職を転々とした方々の就職口がない状況です。
また、仕事があっても、やっと生活費を稼ぐ程度、さらに、少子高齢化と言いながら、企業が求める若者がいないことに加え、リーマン・ショックの影響と産業が海外に移転する中で、大学や高等学校を卒業した方の就職率は極端に低迷する状況です。
だが、このような環境下にあっても、下図に示すように、入社した若者が3年で37%辞めるという実態は止まらないようです。
また、その理由の多くは「仕事が人生の目的に合わない!」という内容が報じられています。
このように見ると、先のNさんがA君に対応した内容は「古くても新しい問題」のひとつになります。
▼技術伝承問題に見る「新入社員が3年で37%退社、定年者の半数しか残余しない問題(現状把握)」
では、対策のひとつを示すことにします。
「人材育成は性格を見て」という言があります。
これには、管理者教育の時によく話の中に、「部下育成の方法はサーカスの調教師から学べ」という教えがあります。
調教師は、いろいろな動物に『火の輪を飛んでくぐらせる』芸を教え込みますが、そこにあるノウハウは次のような対処だそうです。
馬の場合:君の足は虎も蹴殺す。その足を使ってみよ! 目が開いているから火が怖いのだ! 目をつぶれ! といって飛ばせた後で、できるではないか? と気づかせて、自信を持たせるそうです。
虎・ライオン:百獣の王が何をビクビクする、飛べ! の一言で飛ぶそうである。
これはたとえ話なのですが、「性格は変えられない。性格を見て教え方を変えよ!」という教えです。
筆者も製造現場で部下指導の際、「なる程!」と思って、現場の職長達と参考にしました。
今回、ここに記載したNさんのような体験は私もしてきました。
一般に、このような問題の対策に答えはなく、文章にもすべき内容ではない話です。その理由は、本来、職業選択は自由です。
従って、ご自身で人生の方向や道を開拓すべきであって、仕事も自由に選択すべきだからです。
しかし、上司になって部下を持つ者は、折り合いが合わないと大変な苦労をします。
「上司は変えられないが部下は変えられる:配転や退職をすすめること」という原則があります。
しかし、そのような意思決定をするケースは、NさんがAさんに対応したように、かなり悩んだ末のことです。
なお、ここには、入社の時に良き指導者につくべき! という話しと、ご本人の特質や企業感が関与する話が混在した内容であったように思います。
今回の場合、Nさんの部下であるAさんは、部下を自分の部署から配転し、幸いに、成功談をつくってあげられるテーマがあったわけですが、このように転職に似た形でAさんに合ったテーマに遭遇するケースは少ないと思います。
従って、Aさんのような方は、やがて企業から去って行くことになるのではないでしょうか?
新入社員が会社に入る時には、なにか意思があったハズです。
現在、中間管理者の方々の話の中には、「なぜ、ベビー・シッターのように上司ができそこないの大人を育てなければいけないのか?」という議論があることは事実です。
しかし、ご本人の意識が企業の風土や環境と異なる場合、また、実力主義、就職難と共に優秀な若手の方々が下からどしどし入社してくる時代に、このような方々はどのように企業で生きて行くのでしょうか?
悩ましい内容ですが、何らかの対策が部下を持つ上司に必要であることは事実です。
このように思っている時、筆者は、ある研修で上司が部下を評価する研修がなされているニュースを見ました。
この時、「時代が来たか?」と思った次第です。そこで、その要点を以下にご紹介することにします。
なお、筆者の願いは、企業人としてスタートを切った若者には、また、企業で人生の大半を過ごす方々は、下記の事項を参考に、企業意識を高めることにより、貴重な人生を自ら開き、幸せになっていただけないものだろうか? と願う次第ですが、この対策には答えがなく、これからも悩みは続くのではないか? と思います。
“こんな部下を持ちたい!”
ある管理者研修における、企業に入った部下(スタッフの若手社員)の評価列挙例より
1.行動力を生む項目
- 人間関係を嫌がらない。人に仕事を頼んでも嫌な感情を与えない
- 視野が広く、先を見て、企業常識的によく勉強する。常に自分の仕事に問題意識を持ち、時間を考え行動している(不満も改善の一種)
- 仕事の使命感があり、あきらめずに頑張る
- 自分の考え、意見を適切に、人にわかるように表現できる
- 困ったことに対して、まず、自分なりの意見をつくり、上司に持ってきて相談・指導を受ける
2.潜在力の自己育成
- 特徴があり、それが将来の仕事を伸ばす要素になりそうな可能性となっている
- 人の話を良く聞く、メモをとり仕事に取り入れる行動が見られる
- 注意を受けると素直にお礼を言い、活かす
- 人に感謝する気持ちが高い(一人で生きていると考えていない)
- 自分なりの目標、夢を持ち、努力している
3.仕事の能力発揮と自己チェック
- 問題解決の手順と科学的なアプローチ、分析力を駆使して仕事をする
- 一つの専門分野を身につけている。それが、自他ともに認めるものとなっている
- 仕事の段取り、事前検討がうまい
- 仕事の後処理、フォロー、自己管理ができる
- 企画、提案ができる
4.努力の精神と行動力
- 良い意味で根性がある
- 集中心がある
- 前向き、プラス思考を心がけている
- 多少の失敗・苦労は若いうちにしても良い! と考え行動するが、失敗しない策を先輩達から学ぼうとする
- 他人の立場に立ってものごとを考える
5.けじめとマナーの遂行
- 挨拶ができる。敬語が使える
- 天狗にならない。ポイステをしない
- 老人、実力のないものを馬鹿にしない
- 陰口をたたかない
- 会社内では、私語や現代語でまわりに悪感情を与える行動を慎む
以上、このような内容を入手していた時、ある企業で中間管理者の研修会があり、講師として訪問したことがありました。
地方都市の大手企業の研修会です。
そこでの一番の悩みは、企業でどうしょうもない部下をどのように扱うか? という悩みでした。
「地方独特の内容がからんでいて、退職願うことが難しい環境がある」という問題です。
この話、私も地方勤務したことがあるので事情は多少とも理解できた内容でした。
しかし、やはりあまり良い答えはないわけです。
一般に、自分が中間管理者の立場であれば、上司は変えることができないが、部下は変えることが可能である。
この原則と共に、まわりへの影響を考えつつ、中間管理者が集まり良い案を創出する以外に策はないことだけを話しました。
講義ではこの程度しかコメントできなかったわけですが、その後に、数名で親睦会となりました。この席に筆者も招待され、この話がまた、復活しました。
また、話が進むうちに、問題の内容はかなり深刻であることがわかってきました。
その内容は、中間管理者の方が従業員の仕事に対する不満対策と共に、人間関係や指導の限界を感じていることが判ったからです。
問題の対象となっておられた方と、その中間管理者の方の関係はややこしい関係でした。
その理由は、会社では上下の関係なのですが、その中間管理者の方は、自宅へ帰ると地方の郷氏である部下に、地元ではこきつかわれる、という関係だったからです。
このため、問題の方に当たる対応が、よりややこしくなっているわけですが、対策をいろいろ話すうちに、三人寄れば文殊の知恵でした。
問題の対象となっている方だけでなく、職場全体としても極秘の内容になるわけですが、皆で話すうちに妙案が浮かんだわけです。では、その策を紹介することにします。
この方を工場間で配転は出来ない。
しかし、数件ある工場へこのようなタイプの方々を研修の名目で3カ月/1工場の間隔で1年間程の間、まわってもらう策です。
多分、しばらく今いる工場を離れれば、今、幅を効かしている勢力の状態は途絶えるという状況です。
要は、2年ほど離れれば、本人が帰って来た時には、もう、仕事の状況や職場の勢力圏は全く変わってしまっているからです。
昔の職場に新人と同じ状態で、新しい仕事についていただくことになるからです。
後は、転々と流転してきた職場で学んできたことを、今度は戻った職場で、単独の仕事という形で真面目に実践し、信頼を戻せるか否かが、ご本人のこれからの人生となります。
なお、この活動がまだ不十分なら、実力向上対策が必要になるわけですから、再度、実習に出ていただくことを繰り返す案です。
この方式を会社のルールのようにしていけば、この方も避けることができないはずです。
しかも、「この方は職場で勢力を効かせる力があったわけですから、他でも能力を発揮できるモデル・ケースとして育っていただくシステムに参加願う」というプロジェクトです。
もし、このシステムへの参加がいやなら、企業で転勤を断ると自己退職を願う規定があるので、本人と話し、転職を考えていただくしかないわけです。
要は、会社のルールに合わせて、ご本人の仕事の意識と姿勢を変えていただくことがこの方式の特徴です。
なお、決してこの方に対する“イジメ・システム”ではないことを明示することが要点となります。
すなわち、「人材育成の新方式に乗っていただく」というのが、集まった課長グループの合意案です。
こうすれば、ご本人が力をつけていただくストーリーを徹底してご自身で考えていただき、職場を転々とする時に上司となった課長の方々が、この方の相談(カウンセリング)をして、納得いく形で進める方式になります。
また、この方式なら、課長の方々が均等に問題を抱え、皆で知恵を出しながら、この方の扱いに知恵を出すこともできるわけです。
実施してみないと、この案の妙味が出るか否かは不透明です。
しかし、今の職場でかつてのような上下関係がある限り、このような方の勢力圏の打破も人材育成もできないという結論になりました。
この方の場合、今の工場では上司と本人の関係、指導に限界があり、指導だけでなく、仕事の進行に完全に行きづまっている状況なので、ここに作成した「出稽古で鍛えていただく人材育成法」の運用となったわけです。
「同時に、その方に、ご自身に合った仕事を社内で探していただく策なので、遜色はないはずである」となりました。
なお、今、所属する工場は問題となっている従業員の方の住まいとは地理的に近いという環境条件があります。
従って、配転といった場合には、多少とも遠地となる他工場への配転はいろいろと不都合が出るかもしれません。
しかし、今回は配転ではありません。期間を限っての遠出です。
「これなら、会社の制度上、また、組合の関係も、何も問題は無いはずである」となったわけです。
また、「多少の問題と、その詳細はともかく、後は、実験あるのみ!」というのが当日の結論となり、その日は楽しい会食となったわけでした。
この種の問題、すなわち、何らかの形態で「職場のやっかい者」とされる方の存在は、今も多くの各社で問題となっているようです。
かつて、筆者が支援していた企業でもこの種の問題がありました。
筆者の場合、若手で大学としては有名、学校の成績も良い方が部下として仕事に入ってこられた例です。
頭は良い。しかし、地域の関係で仕方なくこの企業に採らざるを得ない事情があった方ですが、この方も社会常識の面で大きな問題を持つ方でした。
仕事に就けてもピントがずれているため、この中堅企業の社長様は「何とか本人を使いたい」と言われ、「筆者が支援するプロジェクトに加えて欲しい」というお話で、この会社のプロジェクトがスタートしました。
プロジェクトは成功しました。しかし、彼に取っては単なる勉強、その後の応用は全くダメでした。
他の方々は高校出の方々だったわけでしたが、仕事に対しては、彼よりはるかに真剣で優秀であり、改善手法の習得と同時にますます腕を伸ばして行かれたわけですが、この若手の方は、ピントが完全にずれていたため、改善手法を教えても何も成果が出なかったわけです。
筆者が見ても、工場生産には全く合わないため、この企業には彼に合う職が全く無いと思ったわけでした。
そこで、筆者は、やむなく、社長に「鍛えても意味がない」と告げたわけです。
なお、筆者と同様、確かめると、この企業の誰もが同じ考えでした。
しかし、その若手を採用した社長様は、「まだ、あきらめは早い!」と考え、彼を生かすべき職場を模索されました。
しかし、この種の対策は筆者の管理外の事項です。
筆者は「筆者が指導する改善の仕事に向かない」とだけ進言しただけです。
これで、その後の改善プロジェクトへの参加はなくなったわけでしたが、その後も、社長のアレンジで、彼は幾つかの職場を転々としました。
しかし結局、才能発揮の職場は何処にもなかったわけでした。
この方にも人件費は掛かります。だが、仕事はできない。
この状況で1年経過したわけですが、そのうち、この企業の社長の決断は「応援要員にしか、彼の使い道がない」ということを覚悟されました。
筆者がこの企業の支援をした期間は3年ほどでした。この方がプロジェクトに参画しての後、2年の間、現場の応援要員の仕事は無いまま、会社で席を温める日を送っていたようです(会社の仕事に関係ない簡単な資料をまとめたり、作成する程度の仕事をしていたそうです)。
途中、何回も社長は自ら指導に当たられたようでした。事実、筆者にも昼食を共にした時など、ご相談があったわけですが、筆者には全く答えが見つからない状況を告げるばかりでした。
今後、「この方はどうするのであろうか?」と考えることがあったのですが、「この先は、もう、ご本人の問題である」と思いました。
忠告と指導は企業サイドにお願いすることにして、この企業でも、ご本人を育成し、適した職に就いていただく策は尽きたと思うわけでした。
だが、幸か不幸か? 突然、この方は家庭の事情で退職されましたので、この企業が持つ悩みは消えました。
後日談ですが、この方は「子供時代の親御様の教育が、ご本人の考え方や生き方に大きく関係している」とのことでした。
だが、この企業としては、入社の時に、「めったにこない大学出をいただいた!」という企業トップの対応が関与していたそうです。
しかし、入社時に彼を厳しく鍛えなかった内容も、問題を複雑にしていったようです。
筆者にはその状況は解らないわけですが、この方のような場合、一般には、多くの企業で実施してきたように、試雇期間を設置して、アウトプットを明確にした上で、しかるべき教育責任者を決めて指導を行い、その後に、ご本人が企業にとどまるか否か、充分に話し合う制度を適用する必要があったのではないか? と思った次第です。
いずれにせよ、この種の問題の対策に妙案が無い場合、企業では、この種の問題を後廻しにしないことが重要です。
漫然と時間が過ぎ、企業に取っても、ご本人に取っても不利な状況が続くのでは相互に不幸だからです。
企業内でも義理人情は大切です。しかし、問題の放置は危険です。
もし、この種の対処が早ければ、ご本人の気づきや若い時なら他に適職を求めるチャンスがあるからです。
企業にゆとりがある内はこのような方々を抱えていても余裕があるかもしれません。
しかし、昨今のように厳しい経営環境の時に、この種の方の扱いには工場経営に足かせになることは事実です。
その後、筆者はこの問題が気になり、その後、海外の状況を調べました。すると、この種の対策に対し、海外では『駄目部屋制度』が運用されていることを知りました。
多分、島国である日本では適用できない方式だと思います。このシステムは、よく見ると、本人に立ち直りのチャンスを与えるシステムです。
この部屋に投入される方々は、若い時に仕事上手になれない方、時代の変化に切り換えが出来なかった方などだそうです。
現在は、ご本人が将来の計画を作り、先のことまでを予測して才能を伸ばしておかなければならない時代です。
過去、古き良き時代には、企業に合わない方々が漠然と仕事する状況が日本企業にはあったようです。
しかし、残念ながら、ここに示した例のように、問題がこじれてからの対策についての良策は無いようです。
筆者はまだ、この方面に力不足で、全く良策も経験も持ちあわしてないため、この種のご相談に対しては、「他に、この道の専門家の探索を!」とお願いしてきた次第です。
私が言えることは、この種の問題は、『ご本人の職業に対するあり方』として、若いうちに、個人的にも方策を案出しておくべき性格を持つテーマという意見だけです。
①頭がよい
②人柄も人当たりも良い
③若く将来への可能性を持つ
という方は世間に満ちあふれています。
だが、現在、企業では、
④仕事ができる
ということを求めています。
お金を払って仕事をしてもらう以上、それなりのアウトプットが求められるわけです。
下に示した表を含め、プロ・スポ-ツ界はこの種の問題にはっきりしたシステムを運用しています。
強いチ-ムは1人1人の強い個人の集まりと努力で築かれます。従って、選手として活動できないレベルになると、年俸打ち切り、他のチームへ移るか、引退となっています。
実力主義が問われる時代にあっては、企業も仕事に対する評価を正しく行い、この種のシステムの運用で納得の行く人材育成〜評価が必要になってきたようです。
要は、仕事を進める実務者自身が、自分で力量を高める育成と自己評価をしてゆく取り組みこそが、本人の生きる道を定めるという原則が重視される時代なのです。
▼プロとアマチュアの差
この種の対策の一つになるか否か? は別にして、筆者の友人のご子息に先の①〜③を満足する方がいます。
だが、④の仕事が“いまいち”だったわけでした。
中堅企業へ新入社員として入社して2年目のことでした。
上司に呼ばれ「君、仕事を変えないか? 君も知っての通り、今年入社した彼、君を追い抜く状況だ、このままこの会社にいるか? それとも、他の会社へ移って、自分の今の才能を伸ばすかを決めて欲しい」という話が上司からこの方にきました。
頃は不況、リストラが盛んな頃です。若い人にも肩たたきの波が押し寄せてきたわけです。
彼は悩みました。
しかし、上司の言っていることは事実でした。このため、書類に判を押し、この企業を去ることにしたわけです。
同時に、筆者にも相談があったので、「見返してやれ!」と言いました。
彼は「悔しい」と言い、同時に、「私は勉強と努力が嫌い」という内容を自分の信条にしていたのですが、そろそろこの人生観を変えるべきと思ったようです。
彼、親に似て本来は頭が良いのですが、努力を怠っていたわけです。
彼は道場で剣道の指導で教えていた練習生の一人でした。このため、このような言い方をしたわけです。
すると、「そう思う。あの会社とあいつを見返すだけのことをしないと、俺の存在すら無い!」と言ったので、「それなら安心! 若い内は復帰ができる。プロ野球の選手だけでなく、剣道の試合も同じだ!」という話を聞いてくれました。
その後、職業訓練所で勉強を開始した彼は見違える努力を示しました。あれだけ嫌いとした勉強に集中し、不況の中で就職を勝ち取ったわけです。
その3年後、先にいた会社の同僚達にあったそうですが、明らかにレベルの高い仕事と給与獲得をとなっていました。
今、彼の言は「あの時のリストラが無かったら自分は甘えの人生だった。今は、あの時の上司に感謝しています」とのことでした。
なお、「会社へ戻ってこないか?」の誘いを彼は断ったそうです。
「若いうちはつぶしが効く」という言があります。筆者は、この言は正に、彼のために用意された言葉ではないか? と思ったわけでした。
要は、下図の左側の環境を乗り越えて社会復帰した例です。
以上、ここでは、長々と企業指導では余り語れない、ある意味、表面に隠れているこの話を紹介しました。
しかし、この種の問題を抱える企業の方々に、一片でも、ここに記載した事例が参考になれば幸いです。
▼人が、自ら目標や目的を持ち、意欲的活動する要件の例