改善のモットー|元トヨタマンの目

改善のモットー|元トヨタマンの目

私はトヨタの工場で長年勤務した。

自動車やエンジンは何年かに1回必ずモデルチェンジがある。

その際、工場のラインはほとんどすべて新しいモデルの生産用に更新される。

新たな車種へ投入されるライン設備の投資金額は、その車種のモデルが終了するまで販売台数で回収してしまうから、古い設備は廃却してもかまわないのだ。

その点は新型車種の原価企画でびしっと計算済みだ。

 

そして新型車種の生産が開始されても、特に機械工程などは頻繁な設備の移動が行なわれる。

それは「少人化」といって、要員を効率的に配置するために行なわれたり、各種の改善活動の一環だったりする。

そのため機械は「根のない設備」にして、固定せず簡単に移動できるように工夫してある。

このようにトヨタの工場で生活していると、常に周りが激しく変化した。

工場で生産管理や原価管理をしていると、このような変化がある都度、仕事が増えることになり非常に大変だった。

本社工場の鍛造部の原価マンをしている頃、あまりに現場の変更が激しく、その都度すべての品目の予算式を修正しなければならなかった。

まだ平社員だった私は、鍛造部長に、
「現場変更するのもいい加減にして下さい」と文句を言った。

鍛造部長は、
「それがお前の仕事だ。黙ってやれ」
そう言われて、しぶしぶやった思い出がある。

 

そしてトヨタを退社し、いろいろな会社とお付き合いした。

創業以来一度も機械を動かしてないのではないか、と思われる工場がほとんどだった。

 

トヨタ工場での変化の毎日は、実に苦しかったが、本当はすごいことなんだ、ということをあらためて認識させられた。

 

あるトヨタ系の部品メーカーの改善でのモットー
「進まないことを恐れ、現状にとどまることを恐れる」

世間では
「進むことを恐れ、現状が変化することを恐れる」
といったような朱子学のような会社が実に多い。

 

今週からまた中国湖南省に入った。
この会社を見ていても、私は「恐ろしくて」仕方がない。

この会社のトップにはその恐ろしさが認識されたと思うが、下の方はまだまだ何も恐れてはいない。

彼等に、恐ろしくて夜も寝られないようにするのが私の仕事だ。


豊田生産コンサルティング株式会社代表取締役社長◎略歴 昭和30年(1955) 愛知県豊橋市生まれ 昭和53年(1978) 早稲田大学商学部卒業トヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車)入社 平成16年(2004) トヨタの基幹職チャレンジ・キャリヤ制度(他社への転出支援制度)によりトヨタを退職(退職時資格は課長級) オーエスジー株式会社オーエスジープロダクションシステム推進本部副本部長就任 消耗性工具(ドリル・タップ・エンドミル)専門メーカーで自動車関連以外の業種の現場改善活動に従事。 平成19年(2007) 豊田生産コンサルティング株式会社設立◎トヨタでの職歴(26年)人事部人事課海外関係人事 3年/財務部経理課輸出入経理、国内債権債務管理 3年/本社工場工務部原価グループ鍛造工場能率・製造予算管理、工場棚卸総括 3年/本社工場工務部生産管理室車体・塗装・組立工場生産管理 4年/米州事業部原価企画グループ北米事業体原価管理、北米生産車原価企画 3年/田原工場工務部原価グループ成形工場能率・製造予算管理、トヨタ生産方式部課長自主研 2年/田原工場工務部生産管理室エンジン・鋳物工場生産管理、トヨタ生産方式部課長自主研 8年◎本社部門(人事・財務・原価企画)9年、工場部門(本社工場・田原工場)17年と本社機能、工場機能のそれぞれを幅広く経験。特に工場では生産管理と原価管理という「石垣」づくりとトヨタ生産方式自主研メンバーとして「天守閣」づくりの両方に長年従事。