分業化⇒機械化⇒自働化|元トヨタマンの目

分業化⇒機械化⇒自働化|元トヨタマンの目

1.分業化(1776年)

アダム・スミスの「国富論」に示してある「産業革命」は分業方式の採用による画期的な生産性の向上に支えられている。

<改善前>

一流の熟練工が熱心に働いても1日に20本のピンしか作れなかった。

<改善後>

18工程に分業し、10人の未熟練工に分担させて製作させたら4,800本できた。

<効果>

(大量生産による低価格化)
これにより、ピンの価格が極めて安価になり、誰にでも容易に購入できるようになって需要が拡大した。

(未熟練工への就業機会拡大)
分業の結果、作業が単純化され、また作業の難易度が分化されることによって、未熟練工にも就業の機会を与えることになった。

(購買層と購買力の増大)
これらの人々の収入が増えたことにより、購買意欲と購買力の増加となり、社会全体の産業の発展をもたらした。

 

2.機械化(1800年代)

「分業化による作業の単純化」は、必然的に

手の作用……工具化(機構化)

に結び付いていったし、更に

手の力……動力化

⇒機械化が一歩一歩進展していく

 

ムダであることを、そのままにしておいて、そのムダを含めて機械化してしまう場合が多い。

改善を徹底的に行った上で、1つ1つ機械化していくことが極めて重要だ。

一度、機械化してしまえば、そう簡単には元に戻せない。

 

3.自働化(1896年)……自動織機にて初めて実現

異常検知能力の機械への付与

 

4.自働化(1950年)……自動車製造に応用

異常検知能力の機械への付与⇒あんどんにより作業者へ知らせる

 

日本も中国も、いまだにアダム・スミスの主張をも入れてない工場が存在することに驚かされる。

日本の工機メーカーから機械を購入して進めるにしても、工程進化の歴史を学んで、その先進機械を全体の流れの中でうまく使わなければ効果は出ない。


豊田生産コンサルティング株式会社代表取締役社長◎略歴 昭和30年(1955) 愛知県豊橋市生まれ 昭和53年(1978) 早稲田大学商学部卒業トヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車)入社 平成16年(2004) トヨタの基幹職チャレンジ・キャリヤ制度(他社への転出支援制度)によりトヨタを退職(退職時資格は課長級) オーエスジー株式会社オーエスジープロダクションシステム推進本部副本部長就任 消耗性工具(ドリル・タップ・エンドミル)専門メーカーで自動車関連以外の業種の現場改善活動に従事。 平成19年(2007) 豊田生産コンサルティング株式会社設立◎トヨタでの職歴(26年)人事部人事課海外関係人事 3年/財務部経理課輸出入経理、国内債権債務管理 3年/本社工場工務部原価グループ鍛造工場能率・製造予算管理、工場棚卸総括 3年/本社工場工務部生産管理室車体・塗装・組立工場生産管理 4年/米州事業部原価企画グループ北米事業体原価管理、北米生産車原価企画 3年/田原工場工務部原価グループ成形工場能率・製造予算管理、トヨタ生産方式部課長自主研 2年/田原工場工務部生産管理室エンジン・鋳物工場生産管理、トヨタ生産方式部課長自主研 8年◎本社部門(人事・財務・原価企画)9年、工場部門(本社工場・田原工場)17年と本社機能、工場機能のそれぞれを幅広く経験。特に工場では生産管理と原価管理という「石垣」づくりとトヨタ生産方式自主研メンバーとして「天守閣」づくりの両方に長年従事。