公務員に対してもトヨタ式コスト意識が必要|元トヨタマンの目
トヨタの工場で改善を思いつけば、関係する人や部署へ直接説明に行く。
良質の提案ならすぐに説得でき、即実施となる。実施できた後に、創意工夫提案用紙を記入し上司(会社)に報告しておく。
上司は製造予算管理制度で毎月出される改善額により、実際の効果を確認する。
このような調子で改善しまくる。
ところで私は愛知県の豊橋市に住んでいる。
トヨタ工場でのノウハウを行政にも活用してもらいたいという気持ちで、今までに市に対して数限りない改善提案をしてきた。
しかし1度として採用され、実施されたことはない。提案の都度、丁寧な文章をいただき完全拒否される。このことを慇懃無礼というのであろう。
世界一の組織体で改善の最先端に立って、日々改善に明け暮れている自分にとってこの返答にはいつも戦慄が走る。市長か議員にでもならなければ、提案は聞いてもらえないのだろうか。
日中、会社では資本主義・自由主義の世界で活動し、家に帰ればそこは旧ソビエト社会と同じような自治体の中で生活している感じだ。
公務員は「公僕」であると言われる。私はこの考え方はおかしいと思う。これだと「民のいうことは何でも聞かなければならない」といった滅私奉公的な考え方に陥る恐れがあるからだ。
私は公務員は「本来市民がやるべき業務を代行して行う」という考え方で業務を遂行すべきだと思う。
具体的には、次のような考え方ではないだろうか。
「現在、市がやっている業務は、本来は市民一人一人が自分でやるべきことだ。もし100%そうであれば税金としてお金を支払うことはゼロだ。
しかし市民は仕事を持っているため、現実的にそれはできない。そのため市の職員を雇って業務を代行してもらっている。
したがって市民は自分でやる部分を多くすれば時間はとられるが、市で雇う職員数は少なくてすみ人件費に使うお金の出費は抑えられる。
逆に市民が自分でやらなくて多くの部分を職員にやってもらうようにすれば、お金の出費は増える。どちらがいいかといえば、前者の方が市民に当事者意識も湧くし、市も活性化するし、なによりお金の出費が少ないのがよい」
このような考え方であれば、もし市民が「あらもやれ、これもやれ」とやいのやいの言ってきたら、市の職員はこう言えばよい。
「はいはい何でもやりますよ。でも今の職員数ではそれはできないので、大幅増員します。その人件費をまかなうため、来年から増税しますのでお金を出して下さいね」
「えーー、そんなら自分でやるよ」
そうそう、市民はできることは自分でやればいいのだ。その方が市が活性化する。
市の職員なんかはどんどん減らせばいい。
そもそも「公務員は公僕である」などと学校で教えるのが諸悪の根源だ。「公務員は市民の業務代行者で、この数は少ないほどよい」という認識を職員・市民とも持つことがスタート点ではないだろうか。
豊橋市人口 300,000人(当然あかちゃんまで全部)
豊橋市職員 3,000人
市民100人で1人の職員とその家族を養う人件費を負担している。
市民100人のうち勤労者ということにならば20人ぐらいだろうか。
厳密に言えば市民20人で1人の職員とその家族を養っていることになる。
さらに県職員、国家公務員の人件費を按分されれば、大変な数字になる。
まさに公務員を食わせるために市民は働かされていると言っても過言ではない。
やはり行政も市民もトヨタ並のもっとシビアなコスト意識を持たなければだめだ。