会社の序列は重要|元トヨタマンの目
日本には日本国憲法があり、それを基にしたいろいろな法律がある。
われわれの生活、行動、経済活動等はすべてその法律に従って行なわれる。
全国民が法律をきちっと守って行動することにより、健全で住みよい社会が維持できる。
その法律を守らない者に対しては、罰が与えられる。
最も厳しい罰は死刑だから、法律のすごさが分かる。
ところで、自動車は何万点もの部品が合わさってできる。
その自動車のような人を乗せて高速で走る機械は、1個の部品の不具合が人命を奪ってしまうかも知れない。
したがって1個の部品の不具合も許されない。
さらにその自動車を1分に1台という驚異的なスピードで完成させている。
考えれば考えるほど、このことは「魔法」に近いと思わざるを得ない。
この自動車をつくる工場も多くの人で運営されている。
その人達の行動も、厳格な「きまり」によって律せられている。
その「きまり」があるから、「魔法」を実現させることができるのだ。
トヨタではその「きまり」を、「トヨタ生産方式」という形で体系化させた。
社会生活の「きまり」が「日本国憲法」なら、ものづくりの「きまり」が「トヨタ生産方式」だ。
ものづくりをしていて、「この行為はやっていいことなのか、それともやってはいけないことなのか」ということはすべてトヨタ生産方式が回答をくれるのだ。
さらにトヨタ生産方式は、改善行為の優先度まで律する。
たとえば、「刃具交換時間の短縮」と「刃具寿命の延長」のどちらの改善を優先すべきかと問われた場合、すかさず「刃具交換時間の短縮」を優先せよ、という回答が帰ってくる。
これは「刃具交換時間の短縮」の方が波及効果が大きいからだ。
「ライン停止時間の短縮」→「仕掛り在庫の低減」→「ジャスト・イン・タイムに貢献」といった具合に、トヨタの究極のテーマであるジャスト・イン・タイムにまで波及する。
しかし「刃具寿命の延長」は、確かに原価は下がるが、波及効果は期待できない。
憲法である「トヨタ生産方式」を勉強させられながら、日々現場を見て仕事をすれば、アホでも一人前になれる(私がそれ)。
アホでも一人前になれる体制なのだから、年功と習得度は比例する。
したがってトヨタの場合、工場に限って言えば、上位にいけばいくほど「鉄壁なトヨタマン」であるといえる。
言い換えると、自分よりバカな上司はいない、ということだ。
だから若い頃、上司は本当に怖かった。
真剣に叱られるのだ。
反発しようにも、叱られていることはすべて正しいので、反論のしようもない。
しかし私も年功を積み、その立場になってみれば、その行為は、結局、憲法を理解して、それに則って言っているだけのことだった。
憲法がきちっとしていれば、ここまで人は育ち、その自信により強く言えるのだ。
ところで世の中の工場をみてみると、このような憲法が整備されているところはほとんどない。
そのような工場だと、上司の方が部下より能力がない、という事例をよく見かけた。
結局、憲法やそれに則った教育体制がないため、個人により成長度合いがまちまちになってしまうのではないかと感じた。
このような場合は、上司も部下も両方ともフラストレーションが溜まって、非常に不幸だ。
組織とは、一般社員⇒係長⇒課長⇒部長⇒重役⇒社長、の順番で、上位にいくほど「賢い」ということでなければならない。
トヨタは(工場に限っては)、これをきちっと実践した会社だった。
ところで中小の同族企業の場合は、往々にしてこれが崩れがちになってしまう。
そのような会社の御曹司は徹底的に底辺の実務や工場作業を経験させて、下々の者たちより実力で勝るレベルまで行って、その上で次のステップに上げていくということを意識してやる必要がある。
そうしなければサル山のボスにはなれない。
それを怠ると、志村ケンのようなお殿様が生まれてしまう。
そのようなトップを置くぐらいなら、生え抜き社員の優秀な者をトップにした方が、会社が儲かって得ではないか。