ローイカトンと白いカラスの話 | ラオス縫製工場の日常

ローイカトンと白いカラスの話 | ラオス縫製工場の日常

※当コンテンツはCBC Laoの提供でお届けいたします。

 

先週、ビエンチャンでは、10月5日のオークパンサー(安居明け)の日にローイカトン(灯篭流し)が行われ、10月6日にボートレースが行われたという記事を書きました。ちょうどその頃に、ローイカトンにまつわる話がラオスのインターネットサイトで紹介されていたので、それを紹介します。

 

ボートースは昼間に行われるので、多くのビエンチャンっ子たちは暑いので参加する人がそれほど多くありませんが、ローイカトンは日が沈み大分涼しくなっていること、またメコン川沿いにいろいろな出店があることから、多くの人が参加します。縫製工場の職員の中にもローイカトンのために、メコン川沿いまで行った人もいるようです。

次からが、Laos Lan Shareというホームページに載っていた、ローイカトンの話になります。

 

<灯篭流しの話>
昔、ある白いカラスの夫婦が、水辺のいちじくの木の上に巣を作りました。孵化しそうな卵が5つありました。

ある日、風が強く、いちじくの木が折れ、水の中に倒れてしまい、白のカラスの夫婦は、二人共死んでしまいました。また、5つの卵は、水に流されてしまいました。

卵の殻を破りでてくると、ある家の前で、勇気のある大人の人となっていました。それから、出家をして、仏陀あるいは仙人のようになりたいと思いました。出家後は、一人ひとりが敬虔になりました。

5人は、5人ともお父さんとお母さんは同じかどうか知らなかったので、お父さんとお母さんの顔を見たくなりました。

あくる日、仙人となった5人は、自分たちがどこから来たのか、お互いに話をするために、一緒に集まりました。偶然、それぞれがもっとも気になることは、お父さんとお母さんの顔が見たいということで同じでした。

それから、突然、そのお父さんとお母さんと会いたいという願いが、天国のお父さんとお母さんに届き、5人の子どものもとへ舞い降りてきたのです。そして、あなたたちのお父さんとお母さんは、白いカラスであるということを伝えました。

5人がこのことを知った時、自分たちのお父さんとお母さんが白いカラスであることはとてもうれしく、ご先祖様へ敬意を表したいと言いました。白いカラスの夫婦は、すべての事情を子供達に語り聞かせ、天国へと帰りました。

白いカラスが天国の帰る前に、5人の子どもたちは、白いカラスの夫婦が、石を粉々にして、それが足跡になるようにお願いしました。白いカラスの夫婦に恋しく思ったときに、畏敬の念を払い、お供えするすることができるようにするためにです。

毎年11月の満月の日にご先祖様への恩を思い出すために、白いカラスの夫婦は、子どもたちに、綿を合わせて一本のひもをつくり、器や皿におき、それから油で火を灯しお供えをし、お寺に行き、天国にいるお父さんとお母さんとお坊さんの説教を聞くように言いました。

このことから、旧暦の11月の月が満ちる日の15日目と月が欠ける日の1日目に、白いカラスの夫婦の5人の子どもたちは、道徳を説くために人間の世界に降りてきます。

たくさんの人々が、木で舟の模型をつくります。綿を持ってきて1つにまとめたものは、バッテンにして油の入った器にいれられ、お供え物を灯すために使います。

あるいは、お父さんとお母さんの恩に敬意を表し思い出すために、シュラブの木の葉、バナナの木を持ってきて蓮の花や舟、鉢の模型を作り、川に流します。道徳的なことを伝えるために、人間の世界に降りてくる5人の仙人にお供え物をします。

5人の白いカラスの子どもの名前は、自分たちのお父さんとお母さんの名前から得たもので、人々の多くは、5人の仙人の名前を覚えていて、次のようにお経を唱えます。

ククサント、コーナカマノ、ガッサポー、イアイニャメットタイニョー。

そのため、人間である私たちは、お父さんとお母さんに敬意を表し思い出すために、仏様や道徳的なことを伝えるために人間の世界の降りてきた5人の仙人をお供えするために、火の灯った舟を作り、蓮の花の鉢を作ります。

 

※Laos Lan Shareのホームページにあった写真

ローイカトンと白いカラスの話_01 ローイカトンと白いカラスの話_02

 

※以下が原文になります。

 

<ນິທານບຸນໄຫຼເຮືອໄຟ>

ແຕ່ກ່ອນມີຄູ່ຜົວເມຍກາເຜືອກເຮັດຮັງຢູ່ເທິງຕົ້ນເດື່ອແຄມນໍ້າ ແລະ ມີໄຂ່ກຳລັງຈະຝັກຫ້າໜ່ວຍ, ມີມື້ໜຶ່ງລົມພາຍຸເກີດຂຶ້ນເຮັດໃຫ້ຕົ້ນເດື່ອຖືກພັດຫັກລົງນໍ້າ, ກາເຜືອກທັງສອງແມ່ນໄດ້ເສຍຊີວິດ, ສ່ວນໄຂ່ທັງຫ້າໜ່ວຍແມ່ນໄດ້ໄຫລໄປຕາມນໍ້າ,

ໃນເມືອໄຂ່ທັງຫ້າໜ່ວຍໄດ້ແຕກອອກມາເປັນຄົນຜູ້ໃຫຍ່ກ້າໜ້າບານຂຶ້ນມາກໍ່ຄິດຢາກຈະອອກໄປບວດເປັນພະລືສີທຳມະໂພທິສັດ, ພາຍຫລັງອອກບວດແລ້ວທຸກຄົນກໍ່ມີໃຈໃສສັດທາຢາກເຫັນໜ້າບິດາມານດາຜູ້ບັງເກີດເກົ້າຂອງຕົນໂດຍທີທັງຫ້າແມ່ນບໍ່ຮູ້ວ່າພວກເຂົາມີພໍ່ແມ່ດຽວກັນ

ມາມື້ໜຶ່ງລືສີທັງຫ້າໄດ້ມາພົບກັນຈຶ່ງໄດ້ມີການຖາມຂ່າວໂອ້ລົມສົນທະນາລະຫວ່າງກັນ ແລະ ກັນວ່າຈາກບ້ານເມືອງໃດ, ໃນເວລານັ້ນປະກົດວ່າຄວາມຕັ້ງໃຈຂອງແຕ່ລະຄົນແມ່ນຢາກເຫັນໜ້າມານດາບິດາຄືກັນອັນເປັນເລື່ອງບັງເອີນ, ໃນທັນໃດນັ້ນກໍ່ປະກົດວ່າຄວາມປາດຖະໜາດັ່ງກ່າວໄດ້ຮ້ອນເຖິງມານດາບິດາທີ່ຢູ່ເທິງສະຫວັນຊັ້ນດາວະດິງດ້ວຍເຫດນັ້ນສອງພະອົງຈິ່ງໄດ້ສະເດັດລົງມາພົບລູກທັງຫ້າ ແລະ ກ່າວຂຶ້ນວ່າມານດາບິດາຂອງພວກເຈົ້າແມ່ນພວກເຮົາກາເຜືອກນີ້ແລ້ວ, ເມື່ອລູກທັງຫ້າຮັບຮູ້ວ່າກາເຜືອກແມ່ນມານດາບິດາຂອງຕົນກໍ່ພາກັນດີໃຈ ແລະ ສະແດງຄວາມເຄົາລົບຄາລະວະຕໍ່ບັນພະບູລຸດຂອງຕົນ, ພະຍາກາເຜືອກໄດ້ເລົ່າເຫດການທັງໝົດໃຫ້ັພວກລູກໆຟັງແລ້ວກັບຄືນສູ່ສະຫວັນ, ແຕ່ກ່ອນທີ່ຈະກັບລູກທັງຫ້າໄດ້ຮ້ອງຂໍໃຫ້ພະຍາກາເຜືອກທັງສອງຢຽບຫີນສິລາໃຫ້ເປັນຮອຍຕີນໄວ້ເພື່ອເປັນທີ່ເຄົາລົບບູຊາໃນຍາມຄິດຮອດຄິດເຖິງພະຍາກາເຜືອກໄດ້ສັ່ງລູກໆວ່າເພື່ອເປັນການລະນຶກເຖິງບຸນຄຸນຂອງບັນພະບູລຸດເມື່ອເຖິງເດືອນສິບເອັດເພັງຂອງທຸກໆປີໃຫ້ພວກລູກຝັ້ນຝ້າຍເຮັດເປັນຕີກາເອົາວາງໃສ່ຖ້ວຍ ຫລື ຈານແບນ ແລ້ວເອົານໍ້າມັນຖອກໃສ່ໄຕ້ບູຊາ ແລ້ວຂຶ້ນໄປຟັງທຳມະເທດສະໜານໍາມານດາບິດາຢູ່ເທິງສະຫວັນເດີ້ລູກເດີ້!

ດັ່ງນັ້ນໃນ ມື້ຂຶ້ນ15 ຄໍ່າ ແລະ ແຮມ 1 ຄໍ່າ ເດືອນ 11 ເພັງ ລູກໆທັງຫ້າຂອງພະຍາກາເຜືອກໄດ້ກັບຄືນລົງສູ່ໂລກມະນຸດເພື່ອເຜີຍແຜ່ສິນລະທຳຄຳສອນ, ມະນຸດທັງຫລາຍຈິ່ງໄດ້ເອົາໄມ້ມາເຮັດເປັນຮູບເຮືອ, ເອົາຝ້າຍມາຝັ້ນເປັນຕີນກາໃສ່ຖ້ວຍນໍ້າມັນຢາຍເປັນຫວ່າງສະເໝີກັນເພື່ອໄຕ້ບູຊາ ຫລື ເອົາໃບຕອງ ຫລື ຕົ້ນກ້ວຍມາເຮັດເປັນຮູບດອກບົວ, ຮູບເຮືອ ຫລື ກະທົງ ແລະ ໄຫລໄປຕາມແມ່ນໍ້າເພື່ອນ້ອມລະນຶກເຖິງຄຸນມານດາບິດາ ບູຊາພະເຈົ້າທັງຫ້າພະອົງທີ່ສະເດັດລົງມາຍັງໂລກມະນຸດເພື່ອເຜີຍແຜ່ສິນລະທຳຄຳສອນ, ສຳລັບລູກພະຍາກາເຜືອກທັງຫ້າແມ່ນໄດ້ເອົາຊື່ມານດາບິດາບຸນທຳຂອງຕົນເປັນຊື່ນັບແຕ່ນັ້ນເປັນຕົ້ນມາ, ມະນຸດທັງຫລາຍຈຶ້ນຂະໜານນາມພະເຈົ້າທັງຫ້າພະອົງວ່າ : ກຸກຸສັນໂທ, ໂກນາຄະມະໂນ, ກັດສະໂປ, ສີອະລິຍະເມດໄຕໂຍ, ສະນັ້ນມະນຸດພວກເຮົາຈຶ່ງເຮັດເຮືອໄຟ, ກະໂທງດອກບົວ ເພື່ອນ້ອມລະນຶກເຖິງຄຸນມານດາບິດາ ແລະ ບູຊາພະຣັດຕະນະໄຕຣ ລວມເຖິງພຮະເຈົ້າທັງຫ້າພະອົງທີ່ສະເດັດລົງມາເຜີຍແຜ່ສິນລະທຳໃນໂລກມະນຸດ.

参考URL:http://www.laoslanshare.com/2017/10/blog-post_43.html

 

出典:海外ラオスにある小ロットを得意とする縫製工場


アペルザニュース編集部です。日本の製造業、ものづくり産業の活性化を目指し、日々がんばっています。