トヨタ自工とトヨタ自販|元トヨタマンの目
1982年に
トヨタ自動車工業株式会社と
トヨタ自動車販売株式会社が合併して
トヨタ自動車株式会社となった。
私はその4年前の1978年に自工の方へ入社した。
合併時には豊田市本社の経理部資金課に在籍していたが、資金課全体が銀行とのデリバリーが便利な名古屋の自販本社へ異動となった。
トヨタ自工とトヨタ自販は真反対の性格を持った会社だった。
トヨタ自工はご承知の通り、徳川時代の百姓のように下(現場)ばかりみてただただ耕作(生産や改善)をするだけの会社で、原価低減の権化のような会社だった。
トヨタ自販は、自工からの新車をすべて買い取ってそれにマージンを上乗せし、さらにそれを日本全国のみならず全世界のディーラーへ売却して彼らにお客様に販売してもらう。
したがって原価低減などする必要がまったくない性質を持った会社だった。
それどころか経費は使いたいだけ使って、こんなにかかったからマージンを上げろというような会社だった。
例えば非常に若年の社員も使えないほどの交際費を持っており、関係メーカーの友人に「消化しなくちゃいけないんで頼むから付き合ってくれ」というような状態だった。
名古屋の自販本社には床屋が入っていて、社員は就業時間中にそこへ行ってもよかった。
自販マンが持家すれば、「会社が社宅などを手配する必要がなくなったので、その分手当てをあげる」という前代未聞の持家手当もあった。
会社負担で慰安旅行ができた。
などなど、数え切れない。有史以来こんなパラダイスのような会社は存在しなかったであろう。
私はトヨタを課長で退社したが、一度として交際費というものにお目にかかったことがなかった。
工場を訪問される部品メーカーさんは時々お菓子の手土産などをくれた。
それらはすべて自腹で買ってこられた物だと考えており、本当にこころから「すいませんねえ」とお礼を述べてもらっていたが、実はそれはすべて経費で落とされていたことを後で知った。
また海外工場へ出張に行った時は、夜飲みに連れて行ってくれる。
多分あちらの会社の交際費で支払われているのであろう。
逆に海外工場から日本の私の工場へ研修などに来た場合、私は自腹で彼らを飲みに連れて行った。
まあ海外でただ酒を飲ましてもらったのだから、彼らの飲み代はその分だと考えた。
さらに自分が飲み食いした分は、自分が楽しかったのだから自分で払うのは当然だ。
というように自分を納得させていたが、少しは交際費なるものの御尊顔を拝したかったのも事実だ。
いやいや現場の人が日夜汗水たらして造ってくれた車で儲けた金をそんなに粗末に使ってはならない。