トヨタ生産方式における労使関係の質の高さ|元トヨタマンの目
トヨタをやめてから、大企業でも生産工程の進化が非常に遅れている工場を多く見る機会に恵まれた。
機械工場でも、1つの機械にロットで製品を仕掛けている。
ということは製品に流れがなく滞留する。
ということは生産リードタイムが遅くなる。
ということは緊急に必要になっても工場がすぐには造ってくれない。
ということは緊急に必要になりそうな製品は、営業が保険の意味で、今オーダーが入っていなくても生産依頼をかけてくる。
ということは工場にオーダーが溢れかえる。
ということは本当に今必要な製品でも遅れてしまうことがある。
そして作業者の動きは、
製品を造ったり、
声の大きい営業の製品を急遽仕掛けるため段取り替えをしたり、
粗材を探しに行ったり、
品質不良が出たと後工程に呼ばれたり、
といったありさまで、作業者が自分の判断で自分の行動を決めなければならなくなる。「標準作業」などまったく作ることはできない。
このような状態で管理・監督者は、何をどうやって「管理」し「監督」するのか。「管理」も「監督」もできないのではないか。
そうなると作業者は暇な時でも、忙しいフリをするようになる。
自分はよくやっているというアピールをしたいという思惑だったり、追加の仕事を入れられるのを回避するということだろう。私でもそうする。
そのような時に、本社から大増産の指示が来たとする。
そうなると作業者も必死になって対応するだろう。そしてなんとかやりおおせてしまったとする。
それを目の当たりにした管理監督者は、「なんだ、心配していたけど、できちゃったじゃないか。それなら暇な時、忙しそうにしていたのはフリだったんだな」ということになる。
そのうち極めて長期間の大増産が来たとする。
管理・監督者は、「大丈夫、大丈夫、できる、できる」と安易に受けてしまう。
作業者の方はさすがに限界を超えてしまう。このようにして「労働強化」が始まり、はては労使がいがみ合うようになる。
私は長年、トヨタ工場の最前線で、現場に生産指示を与える会社側の責任者だった。
トヨタでも当然労使が対立する場合はあるが、その質が前述のような企業とはまったく異なる。
製造部は生産技術部から生産ラインを受け取る。そしてその生産ラインは可動率が85%で設計されていたとする。
注:可動率とは、「設備を動かしたいと思った時間」と「実際に設備を動かせた時間」の比率。この場合、「設備を動かせない時間」としては定期的な品質チェックや刃具交換で設備を止めなければならない時間等
生産計画は当然、可動率85%で計算して生産必要数を算出する。
しかし現時点では製造部がどうしても80%ぐらいしか出せなかったとする。
そうすると不足の5%分は生産計画外の作業者の残業でカバーするしかなくなる。
そうすると作業者が多残業になってしまう。このことを組合から強く指摘された。
製造部としても生産計画を可動率80%で計算するとなると、その数字は本社にまで行くことになのでどうしても嫌がる。
その製造部と組合との狭間で調整が大変だった。
このようにトヨタ生産方式においては、ライン運営上の数値をどうするかということしか問題には上がってこない。
前述のような作業者個々人の作業内容については、ほとんど問題にならない。
なぜならすべての作業者の作業内容は1秒単位の動きまで標準化されて現場に掲示してあるのだから、もし問題ならば組合は現場に行って標準作業票と実際の作業者の動きを確認すればよいからだ。
このような労使間の経験しかない私が、前述のような工場の実態を目の当たりにすると本当に当惑させられる。
生産工程を進化させないでおいて、作業者にばかりなんでもかんでも押し付けている経営者の資質を疑うしかない。
私は今、「労使関係が円滑でない企業は100%経営側が悪い」と本当に思っている。