トヨタの凋落|元トヨタマンの目

トヨタの凋落|元トヨタマンの目

このブログにも、「偉そうなことばかり言って、今のトヨタの状態はなんだ」というような吐き捨てるような意見が寄せられる。

豊田喜一郎氏と大野耐一氏とで完成された「トヨタ生産方式」自体に問題があったわけではない。

70年間それを運用してきた中で、トヨタ自体が巨大化し、大企業病で壊疽してきたのだ。

工場で仕事をしていても、御本社から、トヨタ式をよくご存じなく、位(くらい)と給料だけは高いエライ人達がトンチンカンなことを言ってくる場合が多くあった。

しかし私のいた田原工場のエンジン製造部は現場作業者、製造技術員、品質技術員、生産管理担当者ともに完璧だった。

トヨタ生産方式のすべてが凝縮された工場に、優秀な人達が的確に行動していて素晴らしかった。

当時はアメリカの最も権威のある品質チェック会社であるJDパワー社の評価では常に1番だった。

工場で実際に働いていた私の実感としても、当然の結果だった。

だから今の凋落が信じられない。

 

私がいたころは、「基準」なるものは常に変更されるものだった。

常に改善しているのだから当たり前だ。

それが、グローバル・スタンダードなるカッコイイ言葉のもとに変質してきた。

「基準」なんかいろいろ変えたりすると金がかかる、というような稚拙な発想からだ。

たとえば、工場としては、こちらの方向に製品出口をつけたいのに、「グローバル・スタンダードではそちらの方向へ出す基準の機械は採用していません」などと生産技術部が言ってくる、といった感じだ。

そんことを言っていたら、目のない少人化などできなくなってしまう。

やはり「大組織は自壊する」といったことを実証している。


豊田生産コンサルティング株式会社代表取締役社長◎略歴 昭和30年(1955) 愛知県豊橋市生まれ 昭和53年(1978) 早稲田大学商学部卒業トヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車)入社 平成16年(2004) トヨタの基幹職チャレンジ・キャリヤ制度(他社への転出支援制度)によりトヨタを退職(退職時資格は課長級) オーエスジー株式会社オーエスジープロダクションシステム推進本部副本部長就任 消耗性工具(ドリル・タップ・エンドミル)専門メーカーで自動車関連以外の業種の現場改善活動に従事。 平成19年(2007) 豊田生産コンサルティング株式会社設立◎トヨタでの職歴(26年)人事部人事課海外関係人事 3年/財務部経理課輸出入経理、国内債権債務管理 3年/本社工場工務部原価グループ鍛造工場能率・製造予算管理、工場棚卸総括 3年/本社工場工務部生産管理室車体・塗装・組立工場生産管理 4年/米州事業部原価企画グループ北米事業体原価管理、北米生産車原価企画 3年/田原工場工務部原価グループ成形工場能率・製造予算管理、トヨタ生産方式部課長自主研 2年/田原工場工務部生産管理室エンジン・鋳物工場生産管理、トヨタ生産方式部課長自主研 8年◎本社部門(人事・財務・原価企画)9年、工場部門(本社工場・田原工場)17年と本社機能、工場機能のそれぞれを幅広く経験。特に工場では生産管理と原価管理という「石垣」づくりとトヨタ生産方式自主研メンバーとして「天守閣」づくりの両方に長年従事。