トヨタの工場の帽子|元トヨタマンの目

トヨタの工場の帽子|元トヨタマンの目

今から30年ほど前に、私はトヨタに入社したのだが、その時の工場での帽子は、比較的薄い生地に、短いツバがついていた。

工場での帽子の役割は、髪毛が機械に挟まれることの防止と頭を何かにぶつけた時のキズ防止(特に危険職場はヘルメット)だ。

したがって、ツバはなくてもいいと思うが、やはりかぶりにくいので短いツバがついていた。

非常にコンパクトな帽子なので、工場から会議室に行ったような場合、たたんでポケットに入るため便利だった。

 

その創業以来の機能的な帽子が、いつのころからか、「野球帽」に変わってしまった。

野球帽は太陽の直射を遮るためにツバが非常に大きい。

作業はすべて屋内で行なうのに、なぜあんなに大きなツバが必要なのか。

現場作業は、あんな大きなツバでは極めてやりにくい。

そのためツバを逆にかぶっていると、規則違反だと注意される。

 

先日、「坂の上の雲」を観ていたら、海軍仕官の帽子のツバもすごく短かった。

やはり狭い軍艦の中のことを考えると、自ずからそうなるのだろう。

 

トヨタの現場の帽子の野球帽化も、現場作業を知らない本社の人がデザイン性などで考えた結果だと思う。

トヨタらしく、機能のみを突き詰めて考えて欲しかった。

 

それにしても、トヨタ草創期の賢者たちの行なったことは、なにからなにまで素晴らしかった。

私がいた30年間、トヨタ生産方式という「憲法」に対する改正論議はまったくなかった。

それどころか、常に叫ばれたのが「トヨタ生産方式基本の徹底」だ。

 

リーマンショックでの大赤字、それに続くリコール問題、それらは豊田社長のいうとおり、世界一が射程に入ってきたことによる急激な拡大路線の結果だ。

ここに至っては今まで以上な「トヨタ生産方式基本の徹底」が急務だ。


豊田生産コンサルティング株式会社代表取締役社長◎略歴 昭和30年(1955) 愛知県豊橋市生まれ 昭和53年(1978) 早稲田大学商学部卒業トヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車)入社 平成16年(2004) トヨタの基幹職チャレンジ・キャリヤ制度(他社への転出支援制度)によりトヨタを退職(退職時資格は課長級) オーエスジー株式会社オーエスジープロダクションシステム推進本部副本部長就任 消耗性工具(ドリル・タップ・エンドミル)専門メーカーで自動車関連以外の業種の現場改善活動に従事。 平成19年(2007) 豊田生産コンサルティング株式会社設立◎トヨタでの職歴(26年)人事部人事課海外関係人事 3年/財務部経理課輸出入経理、国内債権債務管理 3年/本社工場工務部原価グループ鍛造工場能率・製造予算管理、工場棚卸総括 3年/本社工場工務部生産管理室車体・塗装・組立工場生産管理 4年/米州事業部原価企画グループ北米事業体原価管理、北米生産車原価企画 3年/田原工場工務部原価グループ成形工場能率・製造予算管理、トヨタ生産方式部課長自主研 2年/田原工場工務部生産管理室エンジン・鋳物工場生産管理、トヨタ生産方式部課長自主研 8年◎本社部門(人事・財務・原価企画)9年、工場部門(本社工場・田原工場)17年と本社機能、工場機能のそれぞれを幅広く経験。特に工場では生産管理と原価管理という「石垣」づくりとトヨタ生産方式自主研メンバーとして「天守閣」づくりの両方に長年従事。