トヨタで教えられた先達の教訓27.28|元トヨタマンの目

トヨタで教えられた先達の教訓27.28|元トヨタマンの目

27.捨て身(中村健也氏)
われわれの場合は、競争相手が世界中にいて、それより優れたことをやった時、またはこれらの平均を超えた時、成功という。
反対に、現実には、今の設計では失敗は許されないという時は、ごく平均的なレベルで、相撲でいうと八勝七敗の状態なのです。
しかし、こんなことをしていたら絶対に負けてしまう。
やはり、貴乃花が横綱を倒すような時は、捨て身のことをやっている。
捨て身というのは、自分が負けた時は落ちることであって、それ位のことをやらなければ、少なくとも敵には勝てないのではないか。
間違いなく敵に勝つ方法はあり得ないと思う。
会社にしても全社を挙げて捨て身になることはできないが、捨て身がないとだめである。
例えば、三割の人が捨て身で仕事をやり、そのうち一割が良い物としてできる。
失敗した経験は次の基礎とする。
そうして競争相手よりも優れた物をつくり出していく。
そのためには、平均的で無難なことばかりやっていてはだめである。

 

28.紙陣を離れよ(中村健也氏)
初めてクラウンを担当した時に、フレームを全部「点溶接」で計画して、全技術部の反対にあいましたが、以前から考えていたことなので実行したことがあります。
物事を行なう時には、時間をかけて十分に考え、自分なりの考えをしっかり持つことが大切です。
以前、作家の吉川英治の随筆を読んだ時、「紙陣を離れる」ということが書いてありました。
これは「紙で作った陣で戦争をしない」という意味なんです。
「今日の小説を昨日の種で書くな」ということでしょう。
だから「ハンドブックを読んで、また教科書通りに設計していてはだめである」というのが私の信念です。

(解説)
中村健也氏は昭和30年、トヨタが社運をかけて世に問うた純国産車クラウンの主査〈開発責任者〉である。

 

元トヨタマンの目
トヨタ生産コンサルティング株式会社


豊田生産コンサルティング株式会社代表取締役社長◎略歴 昭和30年(1955) 愛知県豊橋市生まれ 昭和53年(1978) 早稲田大学商学部卒業トヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車)入社 平成16年(2004) トヨタの基幹職チャレンジ・キャリヤ制度(他社への転出支援制度)によりトヨタを退職(退職時資格は課長級) オーエスジー株式会社オーエスジープロダクションシステム推進本部副本部長就任 消耗性工具(ドリル・タップ・エンドミル)専門メーカーで自動車関連以外の業種の現場改善活動に従事。 平成19年(2007) 豊田生産コンサルティング株式会社設立◎トヨタでの職歴(26年)人事部人事課海外関係人事 3年/財務部経理課輸出入経理、国内債権債務管理 3年/本社工場工務部原価グループ鍛造工場能率・製造予算管理、工場棚卸総括 3年/本社工場工務部生産管理室車体・塗装・組立工場生産管理 4年/米州事業部原価企画グループ北米事業体原価管理、北米生産車原価企画 3年/田原工場工務部原価グループ成形工場能率・製造予算管理、トヨタ生産方式部課長自主研 2年/田原工場工務部生産管理室エンジン・鋳物工場生産管理、トヨタ生産方式部課長自主研 8年◎本社部門(人事・財務・原価企画)9年、工場部門(本社工場・田原工場)17年と本社機能、工場機能のそれぞれを幅広く経験。特に工場では生産管理と原価管理という「石垣」づくりとトヨタ生産方式自主研メンバーとして「天守閣」づくりの両方に長年従事。