「着想」と「判断」は別の場で!|元トヨタマンの目
1.着眼
着眼は、現状に不満を持ち、批判を行うこと。
着眼は、純粋な批判精神のみで行うべき。
着眼がなければ世の中の改善は生まれない。
したがって着眼は改善の母と言える。
「おゃっ、これはおかしいな」
自由で、独立的で、極力たくさんの着眼を考える。
この着眼のステップに着想を介入させてはならない。
なぜなら次の着想は回答であるから、着眼の批判精神を薄めてしまう作用がある。
2.着想
疑問に回答を与える。
「それならこうすればよいのではないか」
「ではこのような提案はどうだろうか」
「それでは、こういうアイデアを提案したらどうだろうか」
この着想のステップに判断をさせてはならない。
なぜなら着想の欠点を判断するのだから、判断と着想を同時に考えることは、着想を萎縮させてしまい、着想の出る活力の息の根を止めることになる。
3.判断
着想の欠点を判断する。
「あの着想は、こんな点に現実的でないところがある」
「この着想は、こんな点に欠点がある」
4.提案
判断をパスしたものが、実際に提案されることになる。
5.実行
いざ実行となると多くの現場の作業者たちを説得し、実際に動いてもらわなければならない。
人間は、理論を説明されて「理解」はする。
しかしそれだけでは絶対に実行するという保証はない。
それは「納得」して、初めて行うものである。
そして「理解」は、「理性」で行うのであるが、「納得」は「感情」によって行う。
したがって実際に実行してもらうためには、2人の彼、すなわち「理性的な彼」と「感情的な彼」との2人を説得しなければならない。
*日本能率協会刊、新郷重夫「生産管理の革命と工程機能の改善」からの抜粋