「女たちのサバイバル作戦」に感じる違和感の理由
65歳で定年退職して自営(自由)業となったら、大学の同窓会とか会社の部長研修同窓会とか、飲み会や旅行会への参加が増えた。
いずれも、男性ばかりの中の紅一点である。
みなさん、それなりに出世して、一般的な見方をすれば功成り名を遂げた部類に入るのだろうが、出てくる話題は、飲んでいる薬の種類と量とか、手術をした報告とか……満身創痍でリタイアした(間近の)企業戦士という感じである。
私はと言えば、まだ薬のご厄介になっていない。
痩せているので、思う存分飲んで食べることができる。
宴会では、お隣さんの残した料理を「もったいない」とか言って食べてしまうことすらある。
私はきっと企業戦士ではなかったのだろう。
先日、「女性技術者が生き生きと働くために考えること」をテーマにセミナーの講師として話をしたが、「女性」という言葉が全然出てこなかった、と参加された方から言われて驚いた。
退職するまで、この手の話題で話をすることがなかったので、一般的な技術者のことしか頭になかったと気付いた。
そこで、遅ればせながら、ジェンダーとかダイバーシティとか、少しは勉強しておこうと思い、この本を手に取った。
上野千鶴子著『女たちのサバイバル作戦』(文春新書出版) である。
いきなり上級コースに入ってしまってどうしよう、という感じである。
歴史的な事実は初めて知ったことばかりで(それだけ私の意識が低かったということか)勉強になった。
しかし、違和感がどうしてもぬぐえない。
例えば、女女格差で女性が分断された、として、エリートキャリアとそうでない人たちを分けているが、前者を後者よりも上に見ている。
私は、カテゴリー分けはできるが上下関係は無いと思う。
さらに、大企業は男(おやじ)社会と決めつけているが、少なくとも私が勤めに出ていた最後の数年の間にかなり崩壊している。
外資系と超日本型の大企業の違いが無くなってきている。
最後になって気づいた。
「勝者」「敗者」の定義が私の感覚とずれていたのだ。
本書では、ざっくり言ってしまうと「勝者」は企業の中で出世して、高い給料や退職金をもらう人、であり、「敗者」は、出世とは関係なく、低い給料で同じような仕事を続けている人、としている。
しかし、この見方はかなり偏ってはいないだろうか。
そもそも、人生を勝ち敗けで言うこと自体がおかしいのだが、本当の勝者とは、どれだけ世の中に価値を提供できたかで決まるのではないか。
出世して管理職になり多くの人を動かしてビジネスをし、世の中に貢献する、というのであれば勝者になりうる。
NPO法人を立ち上げて新興国の子供たちの教育をしている人たちだって勝者だろう。
派遣で働いて、ボランティア活動もしている人は敗者なのか。違うと思う。
高学歴で力がありながらそれを発揮することなくだらだら暮らしている人、会社内の地位ばかり気にして顧客を忘れている企業人、こういった人たちは敗者ではないのか。
本書の最初の部分の問い、「この40年の間に日本の女は生きやすくなったのでしょうか」の答えは私もイエス・アンド・ノー。
男女問わず、これからは一人で生きていける力をたくわえなければならないこと、も同感である。
もっと柔軟なジェンダー論はないんだろうか。
※2013年12月に書かれた記事です。