タイ人工場長はできる人|ラオス縫製工場の日常

タイ人工場長はできる人|ラオス縫製工場の日常

多くのタイ人が、ラオスの縫製業を支えています。ラオスにいる縫製業に関わるタイ人は、多いときで700人くらいいたそうです。

今は、少し減って500人くらいらしいですが、工場長として、あるいは各セクションの課長等として多くのタイ人がラオスの縫製業に関わっています。

 

CBC Laoも同じで、工場長を筆頭にタイ人のいろいろなセクションでラオス人を引っ張っていってます。

今日は、その中のタイ人工場長を紹介します。

一言でいえば、工場長は、40代なかばの女性で、出身はタイのブリラム県で、努力の人で、頭が切れます。

タイ人工場長が、子どもの頃はタイのブリラム県(タイで一番強いサッカーチームやサーキットがあるので有名)もとても田舎で小学校等も整備されていなかったそうで、工場長の家から通えるのは小学校3年生までだったそうです。

そのため、小学校4年生からは少し離れた6年生まで揃っている小学校まで何時間もかけて通ったそうです。

小学校を卒業したのは約40人いた小学校の同級生のうち12人だったそうです。

 

さらにそこからさらに離れた中学校に進学します。この時点で小学校の同級生40人中8人くらいになっていたそうです。

さらに、ここから縫製の専門学校に進学します。3年制の過程で、毎日、ミシンの踏み方やパターンの書き方を勉強したそうです。

今では、タイの経済の発展し、縫製を勉強しようというタイ人はいないそうですが、工場長が中学校を卒業したときには縫製業は大きな産業で縫製を学ぶ人も多くいたそうです。

ここでも優秀な成績で、この専門学校を卒業したそうです。

高校卒業程度の学歴をとったのは、小学校の同級生40人中たった4人だったそうです。

 

さらにさらに工場長は、働きながら、タイの首都バンコクにあるラムカムヘン大学に進学して勉強することを決意します。

このときの働き先が、社長が脱サラしてはじめた縫製工場CBC(タイ)になります。

ちなみにこのときから工場長は、工場長だったらしく、20歳位から工場長をしています。

しかし、その当時は、仕事が深夜まで及ぶこともあったらしく、結局卒業はできなったそうです。

といっても、小学校の同級生のうち首都バンコクに上京して勉強したのは工場長だけということで、結局卒業はできなかったものの一つの誇りのようです。

 

この後、工場長はCBCを辞めて、台湾の縫製工場に中国語とタイ語の通訳になりますが、社長がラオス工場を作る時に、社長が声をかえてラオス工場の工場長になったそうです。

なので、社長と工場長の関係は、30年弱になります。

 

また、縫製の技術や知識の他にも、学ぶ力のある工場長なので、語学も達者です。

 

1.ラオス語
タイ語とラオス語は近いのでタイ人なら誰でも簡単に話すことができるようになりますが、工場長は、しっかりラオス語でラオスの行政文書を書くことまでできます。

 

2.中国語
縫製の専門学校のときの中国語も習っていたらしく、さらに台湾でタイ語と中国語の通訳もしていたということで中国語もペラペラです。

読むのが苦手ということですが、たまに中国語の雑誌が机の上にあったりします。

縫製業ということで、どうしても釦等を中国とかかわらないといけないときがあるので、中国語ができる工場長は鬼に金棒です。

先日も、英語でうまくやりとりできなった釦会社の中国人の人と、電話で話してもらいとっても助かりました。

 

3.日本語
日本人と長く一緒に働いているので、けっこう聞き取りができ、かつ簡単な文を読むことができます。

特に縫製用語はばっちり、「あやめは、みぎからしたね」「ここはまきぬい」ぐらいは、余裕ですね。

 

4.英語
ときどき他の工場のマレーシア人などと英語で話しているのを聞いていると、けっこうできそうな感じです。

 

さらに、工場内でも、貿易関係や税務関係の文書のチェックもしていて、ラオスにおける法律・貿易に知識のばっちりです。

こんな感じで、ときどき「マイペンライ(タイ語で気にするな)」精神が見られることもありますが、仕事がとてもできるのがCBC Laoのタイ人工場長です。

もっとも、CBC Laoの工場長も優秀ですが、40代以上のタイ人には、優秀な成績だった人が縫製を学んでいた時期があったらしく、この年代のタイ人の中には優秀な縫製技術者が多くいるそうです。

このためもあって、何十年も前は安い賃金をもとめて欧米や日本の縫製工場が進出してたタイですが、現在では、タイ企業がラオス、ベトナム、ミャンマーに進出して世界に向けて衣料品を輸出してとのことです。

 

出典:海外ラオスにある小ロットを得意とする縫製工場


ものづくりニュース編集部です。日本の製造業、ものづくりの活性化を目指し、日々がんばっています。