非日常のはなし
自分は数学科出身なので、少し昔話をしたいと思う。
技術とは関係ないかも知れないが、いつも心にとどめている話だ。
僕は高専の電気科で、4年生時の数学の授業は非常勤講師が担当していた。
先生はほぼ1年中よれよれの半ズボンとTシャツで過ごしており、汚れたスニーカーと
猫背、ふらふらと歩く姿は社会人よりもホームレスに近いという風貌で、趣味は数学であった。
学校には自転車で通勤していたようで、その自転車のフレームにはモンスター群の位数が記されていた。
当時それを聞いた時はよくわからなかったが、情けないことに今でもよくわからない。
ある天気の良い秋だった。
1時間半の授業の50分ほどが終わった頃、先生は急に散歩に行くと言って教室を出て行ってしまった。
先生が出た言った途端に、教室は無法地帯になった。
というのは言い過ぎだけれど、携帯をいじったり雑談をしたり程度のざわめきはあったと思う。
先生が中庭から手を振っていたので、何人かのクラスメイトが手を振りかえした。
遊んでいる人もいれば勉強する人もいたし、他の科目の課題をやっている人もいた。
僕は授業の復習をして、練習問題を少しだけやった。
「いまの時間をどう過ごした?」
30分ほどして教室に戻ってきた先生はそう尋ねた。
試験前だけ勉強をしたり、授業ノートを必死に写させてもらう生徒が多い。
要領のいい奴や、立ち回りのうまいやつは、それでいい点数を取ってしまったりする。
けれど、それには何の意味もない。
(もちろん単位取得という意味はあるけれど。それだけだ。
試験という非日常のみを頑張るよりも、今のような空き時間をどう使うか、その方がよっぽど大事だ。
日常の、毎日の、非日常でない時間を。如何に使うか、どう使うか。
別に勉強でなくてもよい。
今日1日で学んだこと、できたこと、わからなかったこと、知ったこと。
夕暮れの台所で野菜を切りながら、じっくりと振り返ることができるような1日を、人生を。
どうかそういう時間の使い方をしてほしい。
おおよそこんな話だったと思う。
遊んでいたクラスメイトは少しばつが悪そうな顔をしていた。
幕が下りるようにチャイムが鳴った。
それは、日常の中にわざと作られた嘘の非日常だった。
そのときやっていた授業の内容はおぼろげだけれども、この出来事は今でもよく覚えている。
社会人になると、学生の時よりもいっそう日常の色が濃くなる。
毎日決まった時間の決まった位置から、決まった電車に乗り、おおよそ時間通りに最寄駅に到着する。
毎日買うコンビニの野菜ジュースに季節限定が出たことが話題になる位変化に乏しい。
そんなときに、あの30分の空き時間を思い出す。
日常という時間を、空いてしまった時間を、僕はうまく使えているだろうか。
今日家に帰った時、振り返るほどの毎日を送れているだろうか。
いやまぁ全然駄目なんだけれども。。。
それでも、学んでいこうという気持ちは忘れないでいたい。