自社工場の立ち上げで生産委託との関係が崩壊!!
※こちらは2014年11月24日に公開された記事です。
増産対応に協力的でないB社に見切りをつけて、自社工場を立ち上げ、自社生産をAは始めました。
B社にもそちらが対応してくれないから自分で生産すると通知しました。
そのころから両社の関係はぎくしゃくしてきました。
自社工場は半年ほどで立ち上がり、1年ほどで生産も何とか軌道に乗ってきましたので、徐々に生産の主体を自社工場に移しました。
B社もA社が自社工場を立ち上げ生産を始めたこと、そして、自社への注文が徐々に減ってきていることは気が付いていました。
この時期両社の関係は完全に冷めきってしまいました。
B社がA社スタッフを自社工場に入れることはなくなりました。
工程や作業をA社スタッフに見せることを拒否したのです。
これは品質クレームが発生したときも例外ではありませんでした。
報告書は出してくるものの、工場での確認は一切受け付けてくれませんでした。
B社がこのような対応になった要因は、A社の対応にも問題がありました。
A社では、生産委託先であるB社と自社工場を共存させて生産能力を確保するという選択肢があったにも関わらず、B社の非協力的な態度を理由として自社工場ですべてを生産させることを選択したのです。
B社から自社工場への生産移管はかなりのペースで進めました。
急激にやったので当然のことながらB社の生産量も急激に減り、経営的に苦しい状況に追い込まれていました。
工場の活気はなくなり、人も減っていきました。
B社を辞めた技術者や作業者たちをA社の工場が雇うということも多くあり、両社の関係は崩壊していました。
この先の結果を先に言うと、A社は自社工場の生産能力増強を甘く見ていて、顧客が求める数量の生産CAPAを確保できず、この後何年もCAPA不足による慢性的な納期遅延で顧客に迷惑をかけ続けました。
B社への発注数量を調節してバックアップ工場として継続できるようにしておくべきだったのです。
ですが、後の祭りです。
自社工場能力の見通しの甘さと、生産委託先政策の誤りが自社に大きなつけとなって返ってきてしまったのです。