男性社員が育児休暇を取得してみた
技術職、男性、30代後半、同居は子供3人(全員男)と妻(外国籍)。共働き、どちらも日勤の正社員。
育児休暇取得は2回目。1回目は10か月、2回目は11か月。
自分の両親も妻の両親も居住が遠方、親類縁者も近くにない。。。
ので、妻と自分で全部やる。
せっかくの育児休暇制度。
使うなら
今でしょ。(と思って)
なぜ「育休」
最初の「育児休暇」取得は2015年の7月から。
2013年の2月に長男が生まれたときは微塵も考えず。そもそも自分(父親)は「仕事」に精をだして、育児は母親におまかせという考えで。
妻の方も、「自分の考えメインでこの子を立派に育てる」ぐらいのことを実際口にしていたし、夫婦としてまぁOKでしょ、と。共働きで、両方正社員。妻の育児休暇明けたら保育園&妻短縮勤務、という感じで。
実際その流れで2014年の4月からは長男は保育園。妻が朝連れていき、預けたらそのまま通勤、短縮勤務終了すぐにお迎えに行き一緒に帰宅。わたしは朝から晩まで仕事だけ。
と、字面だけだと、育児はそこそこ順調。でも、実際は1歳になったばかりの子が、保育園に行けばどうなるか。
うちの子の場合。
初めの一か月は慣れない環境に突っ込まれたからか、とにかくお昼ご飯を食べない。担任の先生たちの努力もあってようやく慣れてきたら、流行病を必ずもらう。2・3週に1度は通園できず。小児科にはほぼ毎週。そんなこんなで、妻の有休はあっという間にゼロ。看護休暇も年間規定数を早々消化。
で、次に有休使うのは、当然わたくし。なんやかんやで、月に2~3は有休消化。子供の通院、看病ならまだしも、通っていた園がとにかく親参加型の行事が多くて、ほぼ月1でアディショナル有休消化。
仕事が忙しかった分、休出を代休にしたりでやりくりしても、年明け1月には有休0。看護休暇なんかを利用して3月末までなんとかして。
ところで、自分の仕事はどんな感じだったかというと。
通常に職場(本社)に出勤なら通勤は片道2時間半。当時の業務内容の性質上、2か月に1回~2回は出張(国内)。その一回ごとの期間はまちまちだけど、だいたい2週間~1か月半。1か月間出張→帰宅→本社通勤2週間→1か月Re出張、なんてことも。年間の業務日数240日のところ140日以上出張だった年も。
子供が生まれてからは、その辺が夫婦間での火種。プラスで毎日自分だけが登園降園の任になってる妻の不満もまぁまぁ溜まって。ただ、頑張った分の評価をお給料で頂戴していた分、なんとかなってました。
そんな中で、次男の妊娠がわかっていた時期の、通常の本社出勤のある朝。保育園から着信。
長男発熱でぐったり。朝飯と思われるもの全部出ました。迎えに来て下さい、とのこと。って、そういう連絡は、優先順位で①母親②父親 のはず。時刻は8時30分ころ。「お母さんがお迎えには来れないそうです」
は?
って、ついに拒否ったか、昨日そんなに機嫌悪かったか?とか、考えながら会社に急遽本日お休みの由。で、帰宅方向の電車に乗ってると、母親様からの着信。電車内なので、小声で応答。
「人身事故で乗った電車動かないし降りれないから、迎えに行けない」
ああ。そういう。。。そうなら本日のお役目はわたくしが。
となったときに、これって実は運がよかったことに気が付きました。
なんの話か分からないくらいの、長い前振りでしたが、ここからがこの章の本題。
なんで、わたくし、男性会社員30代後半、(当時)1児の父および2児の父(予定)が育児休暇を必要としたのか。
もし、自分は出張中で、あとはそっくりそのまま、「お迎え~」のシチュエーションだったら、どうするのか?どうなったのか? 「なるようになってたでしょ?(大事に至らず)」 ってことになるのか。
というところで、my answer in 2015: せめて、今度の子供の時は育児休暇を取ろう
育休の過ごし方(わたしの1回目の場合)
The 平日
朝6時起床。朝食の準備。子供(長男)がたらふく機嫌よく食べそうなものをチョイス。1週間でかぶりの無いように。
8時過ぎに園のバスが近所にくるので、送り出し。たまにグズると乗れないので、自分で付き添いで登園。帰ってきたら、曜日によってお買い物へ。昼前に帰宅して、そのまま奥様のお昼を準備。
昼過ぎに次男殿を寝かしつけるついでに、ちょっと昼寝。家の中のこまごまを片付けて4時に長男様お迎え。
夕6に夕飯なので準備。
夕食もそこそこに次男様のご就寝のため寝室へ同行し、寝顔になるまで。
終わったら長男とお風呂。なかなか出なくて僕ぐったり。
だいたい夜8から絵本を5~6冊(リピートばっかり)読まされて、のどが痛くなったくらいにその任は解かれ、長男様ご就寝の順番。寝つきが悪く、ひどいと1時間くらいかかり、ようやく寝たら散らかったリビングの片づけ。
次の日の朝飯の仕込みなどもろもろ終って、ようやく俺のターン。
11時半ぐらいから30分ぐらい野球の結果など確認して、自分も就寝。
(スタートに戻る x 5)
The 休日
朝から公園。3食の準備。お買い物。お出かけ。
On Irregular day
a.保育園の「懇談会」に参加。保育士に「お母さんたちの育児の悩みを語り合いましょう」と冒頭で言われて、終始黙る。大人がやったら若干エッチなお遊戯を「みんなでやりましょう」となったときも、14対1で男だったため人妻たちに敬遠され、微妙な懇談会に。
b.妻の帰省に一家同行。あごあしまくらで、子供と遊んでいればOK。やたら太る。
c.義理の妹のところ(海外)へ長期滞在。人生としてよい経験でした。
なお、2回目の育休時は、対象のお子様が2名→3名となっており、本ブログでは割愛させいただきます。その際の過ごし方については、機会がありましたらお伝えさせていただければき思います。
私にはできなかったこと(いまでもできない)
①母乳による授乳
②「ママ~、ママ~」の泣き&叫びに対応
③おとこのこにとって、とどのつまり、母親>父親、の優位性をひっくり返す
育休だったからできた経験
(1)24-7 わが子と
親として、自分が一番怖かったことは、自立する前に子供たちの人生が終わってしまうことでした。とくに幼児と言えるこの時期に、最期の瞬間を迎えるようなことが起きたとして(実際はなかったですが)、ならせめてそのときを一緒に過ごしたい、という気持ちもありました。
最初の育休中の我が家の最大のピンチは、次男が6か月ときの肺炎でした。正月明けに、長男が保育園から風邪のようなものをもらってきたのが伝染。微熱が続いていたところから、咳がとまらなくなり、ある晩からはオットセイの鳴き声のような咳へ。
診断はRSウィルスによる肺炎とクループ症候群。8日間の入院でしたが、一時予断を許さず。毎日母親が付添い、長男は私と家で二人っきりなことに不安がり、育休中であったことを感謝しました。
(2)家族で、遠くへ
妻の妹が米国に住んでいて、「せっかく時間あるならみんなでおいでよ」と。アンチUSAのわたしとしては、正直いきたくなかったのですが、ゴリ押しに勝てず1か月の渡航。
イリノイの片田舎(というか超田舎)で3週間、L.A.で1週間。イリノイでは米国の「育児」イベントに多々参加する機会もあり刺激的な時間でした。
長男も3歳になったばかりでのことでしたので、「憶えてな~い」と今は言いますが、家族そろって異文化に触れた影響は大きかったですし、育休のような長い期間があってこその体験でした。もう2度とないかな、っと思います。
(3)公的な制度に触れ影響を実感する、自分の生き方を考える
最期に、まじめな話を。
育児休暇(法的には『休業』)には様々な、ある意味、「特典」といっても過言ではないような法的な設定があります。(育児給付金、健康保険の保険金免除など)
詳しくは、種々Webサイトにありますので、ここでは敢えて言及しませんが、いわゆる「税金の使い道」の対象が、「自分(たち家族)」になることを日本に生活しているなかで実感できます。
また、いろいろな生き方があるとは思いますが、正当な休暇を数か月単位で取れた上で、その後職を逸しない、ということが法的に担保されるのであれば、これは利用しない手はない、とも思います。
勤勉であれ、まずは職務を果たせ、自己都合は優先しない、など。働き方は正しいか、正しくないか。
わたしは、取りました。あなたは(とれるとしたら)取りますか?