春節の忘・新年会は2回に分ける?(その3)
前々回、春節に多くの会社で行う忘・新年会を作業員を中心にした会と、事務職・管理職を中心にした会の2つに分けて実施している会社の例を紹介した。メルマガではアンケートでその賛否を読者のみなさんに問うてみた。
前回アンケート結果と読者の方からいただいたコメントを紹介した。追加でコメントを募集し2名の方から書き込みをいただいたので、今回はそのコメントを紹介する。コメントをいただいた「S藤」さん、「kondo」さんありがとうございました。
最初はS藤さんのコメントです。
『賛成です。 日本人の道徳観では反対ですが私も長年中国出向しておりますが日本人の道徳観=中国での正しい姿ではない。
日本人の道徳観で業務を行い失敗をしましたし見てきております。現在の員工の若い世代(18〜20)は別として基本は職員・員工を分けるという風習に関しては昔ながらです。特に職員(いわゆるスタッフ)は逆に、ワーカーとの差別化を望んでおり、ワーカーも暗黙の了解です。
ただ現在の若い世代のキーワードは「平等」であり恐らく5〜10年でこういった差別化の社会に対し一度大きな波がくるのではないかと思います。
したがって現在は忘年会のみならず基本は差別化すべきですが、近い将来は少しずつワーカーの主張が強くなり数の理論で少しずつ平等化されていくのではないかと思います』
このS藤さんのコメントもいろいろ示唆に富んでいますね。特にスタッフはワーカーとの差別化を望んでいると書いています。これについて他の読者の方はどのように感じているでしょうか。事実そうだと捉えているのか、それともそんなことはないと思っているのか。
また、近い将来は平等化が進むとも書かれています。わたしもそう思いますが、それがいつなのかは予測不能と感じています。
今日のポイント
次にkondoさんのコメントを紹介します。いつもながら例えを交えてご自身のお考えを説明してくださっています。少し長いですが、最後まで読んでみてください。
『残念ながら階級階層というものが存在します。明治維新から百有余年、細かい部分ではいろいろありましたが、日本では基本的に「四民平等」のスローガンの下、階級社会の否定をしてきました。 明治政府は、武力を伴わない「下克上」を合法化したということです。
ところが現代に於いても日本以外の地域では階級社会、あるいは制度までもが社会の表舞台に居座っているのです。「居座っている」というのは極めて日本人的な見方で、その他の国の人から見ればそれは「主観」だと批判されるでしょう。
自由の国アメリカ合衆国でさえも、それは日本人のイメージする階級とはいえないかもしれませんが、「poor White(プア・ホワイト、白人でありながら低所得な人達)」という階層がイラクやアフガン駐留兵士の中核を担っている、という現実があります。
このような、日本語に直訳したら意味が通じない言葉でも、彼の国ではその意味が正しく伝わってしまう、という事がアメリカ人の階級・階層意識を表現しているといえます。 以上はとても緩やかな例です。
私たち日本人には理解し難いのですが、階級社会を正面から堂々と維持するのは、それで社会の秩序を維持するコストを低減するのに役立っているからです。「上に逆らわない」「住み分ける」「分を知る」という事、これくらいは日本人でも知っていますし、生活、行動の規範の一部になっています。でも、それは、日本人でも「成人に限って」という条件が付くでしょう。
これらの規範を社会人デビューの頃、主に所属する組織に教わる、ということは、ニッポンソシキも「停滞」が標準状態なのかもしれません。緩いですが。
元々の由来は古の為政者・権力者・政権がトップダウンで階級「制度」を知らしめたものでしょうが、それを諸外国にあっては、今では、あるいは今でも自律的に階級「社会」を維持しているのです。
日本でも田舎に住めば体験できます。そのような社会では、宴会を分けるくらいは問題にはなりません。ただ、階級社会をそのままコピーするかのように会社の制度に持ち込むと秩序維持コストは下げ易いですが、停滞もし易い、といえます。何処の国でも同じです。学校で習った江戸時代と明治以降の違い、そのままでしょう。
多くの日本人意見者の皆さんがおっしゃるように階級を超えた人事交流の仕組みをいかに上手に組み込むか? 自分の所属する組織に於いて、停滞が怖いなら取り組むしかありません。
その際のキー・ポイントは2つあります。1つ目は、平凡・単純ですが難しい、日本人の明治以来の成功ノウハウ、下層階級の人々の扱いです。
下層の人々は自然な事ですが、上層の人々よりも漫然たる不満やいろいろな希望・期待をより多く持っています。少し話してみれば分かります。警戒を解き、どこまで具体的に話してくれるかは聞き手の工夫次第ですが。そうして、彼らのハングリィ精神を平和的に取り込む事です。
余談ながら重要だと思われるので付け加えますと、宴会などのフランクな場を「上層の人達とは、本当は持ちたくない」という考えが下層の人に少なくないのです。今や世界の中で偉くなってしまった日本人にとって、これは、かなり意外ではないでしょうか?
こういった意識の人々と「うち解ける」とは? タダの自己満足に陥っていないか? よくよく慎重・迅速に考え、対処する必要があります。単純に排除するだけでは解決になりません。
そしてもう一つ、日本人は「故意」に忘れがちになるので、あるいは特定の外国でもかなり難しいのですが、ハングリィ精神を維持できない幹部・管理スタッフを排除する事です(あらかじめ制度を作っておく事、形骸化させず運用する事)。階級「制度(分けられた宴会)」は道具として必要ですが、それが「社会」「習慣」とならないよう、不断の努力が必要です』
階級を超えた人事交流の仕組みをいかに上手に組み込むかについて、2つのポイント挙げています。わたしがさすがだと思ったのは、「ハングリィ精神を維持できない幹部・管理スタッフを排除する事」とのところです。中国の組織でも既得権にしがみついて、改革・改善を避け、事なかれ主義に染まっている幹部職の人を何人も見ていましたので。