文章の書き手が理系か判断する方法

文章の書き手が理系か判断する方法

文章という呪縛

蓼食う虫も好き好きという言葉がある通り、人の好みとは十人十色である。

しかし、この世には文章を書くことが好きな技術者は皆無だと小生は断言する。

報告書、レポート、資料、論文、技術ブログ、これらは逃れることの出来ない呪縛である。

蓼がどれほどの不味さかは知らぬが、文章を書く面倒臭さを現在進行形で味わっている小生が言うのだから間違いない。

文章という鏡

然りとて、己の成果・主張を遍く人々に知らしめることが出来るのも、文章の力であることは否定できない。

また、その文章力は書き手の経験・能力を反映した鏡であるとも言える。

恐らく機微に通じた諸兄姉は下記のような新人特有の文章を目にした機会があるのではないだろうか。

 

要点を纏めるのが下手で、無駄に文章が長い者(小生ではない)。

結論よりも過程の努力自慢に注力する者(小生ではない)。

目的と結論と課題の内容が一致していない者(小生ではない)。

事実と推測を混同している者(小生ではない)。

文章にしれっと嘘を混ぜ込んで来る者(小生である)。

 

正しく、文章とは十人十色。読むだけで書き手の人格まで凡そ掴めると言っても過言ではない。

事実、この文章を読んだ諸兄姉は「この書き手は、関わり合いになると色々と面倒な人物」と、その御慧眼より容易に真実を看破された事が何よりの証左であろう。

更なる実例として、読んだだけで、書き手が理系出身かどうか判別できる要素が存在することを諸兄姉はご存知だろうか。理系は論理的だから、答えは「文章の論理性」と考えるのは早計である。

第一、理系出身の小生の文章を読めば(以下略

 

答えは「フォント」である。あまり知られていない事実であるが、理系の実に83%は英文を打つ時に

「フォントにTimes New Romanを選択する病」を罹患していることが報告されている*1。

(*1: 宇相条弾 (2016) 「明朝とゴシックが混在しているレポートを見ると発狂する病例報告」,『理系奇病集』, 32, pp.125-31.)

英文にわざわざこのフォントを選択する者は間違いなく理系である。

また、既にお気づきかと思われるが、この手の面倒臭い文章の書き手も間違いなく理系、もしくは土屋賢二氏である。

ご連絡お待ちしております

文章。それは自分自身を映し出す鏡。

報告書、レポート、資料、論文、技術ブログ、これらは逃れることの出来ない呪縛である。

大体、技術部から管理部に左遷栄転したのに、まだこの技術ブログを書いている小生が断言するのだから間違いない。

解呪法をご存知の諸兄姉、ご一報お待ちしております。


創業40年の製造業。ダイヤモンド事業からスタートしたテクダイヤは、会社本来の「人好き」が作用し、人との出会いを繰り返しながら業態変化を続ける。 現在はセラミック応用技術・精密機械加工技術・ダイヤモンド加工技術をコアとしながら先端技術のものづくりを支える。スマホやデータセンターなどの通信市場、更にはNASAやバイオ領域にも進出中。