なぜ仕事を辞めるのか、聞いてみた
辞めていくスタッフももちろんいますが、改めて聞いてみました。
「なんで辞めるの?」
その答えに個人的にヤラれたっていう、8割は小言です。
ちょっと重め、もとい、結構重め、もとい、暗め。
このテーマ『技術』なの(?)シリーズ(※非公認シリーズ)
イスの上にも3年、は座らない
石の上にも三年
石のような冷たくて座りにくいものでも三年(もの長い間)座り続ければ温かく居心地がよくなる、ということ。苦境も長い時間辛抱すれば報われるという意味。
いろいろな場面で、「あのことわざみたいに最低3年は辛抱するもんなんだよ」と、ありがたいお言葉を諸先輩方にいただいた記憶があります。そうです、これは日本人の大好きな『3のつく数字シリーズ』の1つです。仕事は3年ぐらいやったらやっと板につく、という通説。日本人の感覚。3年。だからこその“誤解”。
転職が当たり前の世の中になってきた今でさえ、前職を3年未満で離職したという経歴は多くの企業の人事担当者にはマイナスポイント。仕事を辞めた理由なんて様々、みんな違って(みんな良い)。終身雇用全盛から変わってない「やめるやつはクソ」という思考停止と「1つのことを3年以上頑張れる君なら大丈夫だね!」という根拠なき判断基準を正当化するには、この『3年石の上理論~誤解Ver~』は使いやすいし受け入れやすい、ということです。
で、今回の場合はフィリピンですが、そんな日本伝統のロジカルな『3年』説は通用するかって話ですが、ここまで話したらお分かりのとおり、「現地でも重要視されてます!!」ってことにはならんでしょう、てな話で。
というよりも、そもそも「この仕事〇〇年やってるから」的な価値観はないですから。むしろ逆もありますよね、「なんでそんな長い間同じ会社にいるの?」「なんでいつまでも同じ仕事やってんの?」。
「〇〇年経験あります。」「彼(彼女)は〇〇年目だから昇進だよ。」「まだ2年目でしょ?評価できるわけないじゃん。」ガラパゴスニッポンの『終身雇用』&『年功序列』の神設定っぷりを思い知らされるわけで。
「この期間経歴抜けてるけど何してたの?」とか「大学出て4年も定職についてなかったの?」とか「もう3回も転職してんだね~」とかその手の伝統ある近代日本の価値観も、まぁねぇ。
そう考えると、同じ日本の中とは言え、プロスポーツ界の賃金設定は異端と言えば異端。期待値のないやつは何年選手だっつっても低賃金or解雇。まぁ、某在京野球チームは別格の“The日本仕様”だったり、スポーツ紙などには「功労者をねぎらわない非情人事!」とか書かれますけど……。
話を戻して。だからフィリピン(に限らず)現地周辺の出身の方々は、“〇年目”だから辞めないとか辞めるとか、そんなことはそもそも判断基準にはなってません。
居心地の良い『イス』を用意すればちょっとは気分は良くなってアガっても、“絶対に3年は居よう”、とか無いんです。辞めたい理由が見つかったら、やめちゃうんです。
で、『辞めたい理由』って何?
今回は、フィリピンの一地域でしかないですが、勤続年数長い=素晴らしい、はそこまでではないんです。が、だからと言って、理由もなくすぐ辞める、ってことも個人差がある。辞める理由を聞いてみると、そんな程度(の理由)で?ってこともありますが、そこはそれ。
でも中には数年とか数十年とか続けてる人たちもる。継続勤務してる理由はなに?ってところ大事ですよね。
で、端的な偏見と限定的な価値観をもとにその理由を挙げてみると、
1.今の仕事が自分の人生においてやりたいこと(たのしい仕事)
2.給料が良く個人的な負荷が少ない(おいしい仕事)
3.今更辞めたら家族が生活に困る(しかたなく仕事)
4.実は辞める時期の目途があり、そのタイミング長いだけ(期間限定のお仕事)
5.単に楽観的(なんとなく仕事)
6.その他全部(みんな違ってみんな良い)
と、雑にまとめましたが、このあたりの条件(6は無視)にヒットしないと、やめるかな、って方向になってきますよね。ただ、2の理由のみで『妖精さん』やってるよりかはどんな理由であれ、長く働いてもらえることに個人的に好感持てるかな、と。まぁ、日本人のおっさんの偏見なんでしょうかね、このあたりも。
で、数年前から最近までで、ウチの工場を辞めた、もしくは辞めると言っていた現地採用の自分より“若い人”が、辞めるとき言ってた、またはそう聞いた理由(ポジティブ印象 for me)は
「自分のやりたかった(種類の)仕事のあてがついた」
「もっと給料がもらえる仕事に就ける」
「別の国に行って仕事したい(というか行くこと決定)」
「故郷に帰って家族のそばで働く」
とかとか。「Good luck!」と形だけでも Thumbs Up できる理由は、聞いた後も当然心に影は落とさないんですが、言わずもがな、反対方向もあるんです。
ですが、ダークサイドを書きすぎると、サラ・コナーみたいにterminateの対象になるし、普段からの陰キャっぷりに重ね塗りしても味気ないので、自分がここ最近で一番ネガティブに受け取った、直接ある方に聞いた『辞める理由』。
「製造業は毎日同じことの繰り返しで、嫌いです」
「製造業嫌い」の衝撃
わたくしの事。
世間的にも社会人と認識されるような働き方を始めて約15年。1度の転職はあったけど、前職も現職も製造業(であってんのかな?)。社会で必要とされるあらゆるものは、どっかで誰かが作らないと流通なんてしない。“作り手”ありき、モノ作ル大事ナシゴト、はじめにつくったヤツスゴイ、と思って今日まできたんで。「お仕事はなにされてるんですか?」と聞かれて、「製造業っす」と即答してきたし、誇らしいぐらいでやってきた。完全な偏見で、都合の良い自己肯定で、近現代日本へのアンチテーゼで、厨二病で、「モノ作れないやつは〇ソ」って思っていた時期がある程で。
そんな風に生きてきて、そんな感じでおっさんになって、ある日仕事を辞めたいっていう一周り以上年の離れた若者に、偉そうに「悩んでるなら聞くよ」、とか言った結果が、「I don’t like the manufacturing so much.」って。全否定された~、っていうか、いや、でも、え?みたいな間抜けな反応して。まぁニュアンス的には「好きじゃない」ぐらいかもしれないけど、だったら、so much 足すなよ、って感じて。
で、ちょっと間があって、ちょっと落ち着いて、好きじゃない(というニュアンスだろうと切り替えて)理由を聞いとこうと思いまして。そしたら、「毎日問題が起こる。解決する。再発する。解決する。改善する。別の問題が起きる。一週間が終わる。同じようなことが毎週起こる、毎月対応する、一年が終わる。その繰り返し。だから全く楽しくない。自分の人生にとって意味を感じない。」んだそうで。
…………そうですか、と。毎日が同じで、楽しくないんですね。
久々にガツンとくらいました、個人的には。24時間ぐらい、すっごいダウナーでした。(なので以下ネクラ)
そんな考えで、よく仕事来てんな、って。どんな仕事も善し悪しあって、楽しいとか楽しくないとか日々ちょっとした違いしかなかったりして、でもちょっとずつでも前進したり、後退したり、ジャンプアップしたり、しなかったり。
まぁ、でも個人の意見でしょ、って。ねぇ?って思ったけど、「製造業好きじゃないひとは(この会社にも)多いと思います」だそうで。
おじさんは悲しいです。毎日同じの何がいけねぇんだよ、って。誰かが何かを仕事にしてて、それはやっぱり日々繰り返してんだよ、と。おめぇの好きなスマホだって、大量に毎日繰り返し作られてるものの中の1ヶだろ?LOT Noあんだよ、Parts Noあんだよ。んで、誰かと誰かと誰かと誰かと誰かと誰かと誰かと誰かとだれかとダレカとダレノガレ(はいないだろうが)とか、貴方の知らないその他大勢が、日々繰り返しの作業した結果なんだよ、って。
俺の好きな『製造業(注:すっごいステレオタイプな定義)』、否定すんなよ~、とね。
でもねー、そんなこと言ったところで、やっぱり、出自が違いますよねー。世代も離れてますよねー。そもそも、人それぞれ、みんな違って、みんな良い、でしょう?己の価値観 ≠ 他人の価値観 は真理(しんり)ですよね。
一個人が言った私見を聞いて、オッサンが自分の価値観勝手に揺らいで、おろおろしてるだけ。『衝撃』とか、アホか、ってね。
閑話休題(でもない)
なぜ辞めるんですか、ってとこに戻って。
言うまでもなく、こんな長々だらだら書くまでもなく、人それぞれなんですよ。マクロで言って地域性でミクロで言ってアイデンティティの違いで。
んなことは、おっさんでなくても、中二でも云える。
やりたいこと探す、大いに歓迎。楽しいことを仕事に、大いに結構。みんな違って、みんな良い。みんな良い、ミンナ良い、ミンナイイ、minnaii……。
(以下閲覧注意)
バ〇なの?どんだけお花畑なんだよ。はぁ?誰かが表なら、おめぇは裏だろうが。全部思ったようにいかねぇよ、誰かに邪魔されんだよ、気に入らねぇやつばっかりだろ、No Money No Life に決まってんだよ。んで、楽で華やかで苦労なく楽しくやりたことだけで構成された人生、おめでとーゴザイマス。誰かがおめぇのツケを払ってんだよ。そこに気が付かねぇで一生キチ〇イみたいな夢物語、語ってろや、ボ〇が!
(Fyre Festival 是非ともご覧ください。@net**ix(注意:ステマ))
(以下閲覧可能)
毎日誰かに感謝をしなくても、非科学的な何かに祈らなくても、私財を投げうったりサービス残業に身を捧げたりしなくてもいいんです。うまくいかない時に飲んだくれてクダ巻いてもいいんです。たまにバックレてもいいんです。周りに迷惑かけまくって生きてていいんです。
気づいてくれればいいんです。あなたの知らないところで、あなたの人生そのものをものすごい数の他人が、結果として支えてるんだってことに。で、その逆もしかり、ってことに。
オッサンの上から目線でいえば、いろいろ“経験”したらそのうちわかります。自分だって、世界の中の歯車の1つの刃先に過ぎないってことに。
他人が仕事辞める理由を聞いて、落ち込んで、怒って、立ち止まって、思いました。
“好きじゃない”から仕事辞めるとか、“自分にあった仕事”を探すとか、存分にやればいいんです。
ちっちゃい変化で一喜一憂して、そんで注目されず、目先に楽しさがなくても、仕事しよう。(反社会的なことはあれだけど)誰かの役に立ってます、できれば、やめないで、と思います。
日本語ですらうまく言えないし、英語では一言も言えませんでした。
「これからも、一緒に仕事、していきませんか?」って、いえませんでした。
“技術者”って
技術者ブログなので、強引に技術者っぽいことを偉そうに書いておきます。
(※このブログは一個人の意見・感想であり読んでいるあなたの人生に直結すことはありません)
『〇〇年目だからできるできない』のはなし。
1年目でもできるやつはできる。10年目でもできないやつはできない。昔とった杵柄がどんなに美しくても、今仕事になってない人は『妖精さん』とおなじ。
自分のやってることが、客観的に見返せないなら、仕事してないのと一緒。
あえてテクダイヤ風に云えば、“新人”でも、“中堅”でも、“ベテラン”でも、ってことです。
知識不足・技術不足は何年たっても出てきます。そこじゃない。
誤字脱字がひどい、時間にルーズ、メモをとらない、処理が遅い。そこじゃない。
間違えたら、それを認めて直す。失敗したら、なぜ失敗したか考える、事後処理もどうするのか考える。そこまではだいたいの人ができるしやってる。その結果がお粗末でもそれはそれ。そこじゃない。
今自分のやるべきことは何か、周り見て、自分見て、周り見て、自分見て。
会社なので。立場や役割があります。多少不足したり、越権することもあります。いろんな人がいます。
自分は正しい、あいつはおかしい、これが正解、言わなくてもわかる、失敗するに決まってる。
そんなことをごちゃごちゃ言ってんのは『技術者』じゃない。(と思ってます。)
多くの可能性と選択肢から現在のベストを選べるかどうか、その後の状況変化ではどう対処するか、場当たり的でなく当初からどこまで見ていたか。
そういうことが、『技術者』かどうかの境目ではないかと。
そんな時に、意外と“経験”ってのがヒントをくれます。1つのことを続けてきた結果、ということが意外と役に立つ、ってこともありますよってこと。
悲しいたとえですが、誰もあんな大きな津波がくるって思わなかったんです、だって見たことないから。でも、理屈ではあり得たんです。で、今なら、知識と経験があるから、何がベストか、どうしなきゃいけないか、動けるという話です。ただし、あくまでも、現状のベスト。
理屈先行だけでも危険でしょう。真の意味で理屈になってるのか、周囲が納得するだけの情報があるのか、言ってることが崩れたときにどうするのか?
経験則妄信もどうでしょうか。結論ありきはなぜですか?誰かのエゴに引きずられてませんか?一部の人の損得に巻き込まれてませんか?
考えたらきりがない、でも、許されるだけ考えて、周囲に判断の基準を提供する。それも『技術者』ではないでしょうか?当然、自分の判断も示すべきだし、議論は結ぶべき。他人の意見も聞きましょう。
ちなみに、人類みな『技術者』であれ、ってことではないです。
たかだか15年程度仕事してきたオッサンの独り言。
辞めてもいいけど、昨日今日明日明後日の経験が10年後の何かに生きるかも、だから、“知識”“技術”はもちろんのこと、“経験”溜めるためにも、続けよう。同じことを繰りかえすのも“経験”、予測可能なことに準備したことも“経験”、自然界からの脅威でうまくいかなかったことも“経験”、などなどなど。
仕事は人生ではないです、でも、今の現実社会、仕事が人生の時間を大きく占有します。
あきらめろ、って話しじゃないです。その仕事に前向きに、ってことで。
蛇足(駄文)※閲覧不要
野暮なんですが、ちょっとだけ付け足し。
辞める人、にこだわる私の理由、言い訳、自己肯定。
(以下実話に2割ぐらいの盛りです)
はじめて入った会社にいた、本当に偶然、大学で同期だったシミズ君。わたしの入社時には退社決まってた、いきなり仕事を引き継いだ。人と話すのが苦手で、ほとんど単独行動で、大学1年の研修室体験の初日に遅刻して、担当教授に「常識がない」とレッテル貼られてたシミズ君。退職する最後の日まで直上の上司に「バカ」とか「使えねぇ」とか「お前大丈夫か?」とか言われまくってたシミズ君。最後の最後まで私が同期であったことを思い出せなかったシミズ君
いなくなって、彼のデスクトップPC引きついだ。“引継ぎ”フォルダの深いところに“ゴミ”という名フォルダ。“ごみごみ”という名のExcelファイル。シートが6枚。「会社でなぜ問題は起きるのか」という題名。自社工場内のケーススタディのフローチャートやメモ、日記みたいなもの。はっきりと自作。形だけじゃなくて、真剣に考えた痕跡だった。そこには確かに悩んだ痕があった。『結論』の文字の下は、ずっと空白のセルだった。
これだけ、会社のことを考えた彼が、なぜ辞めるのか。「お父さんの仕事手伝うことにしました」とあいさつしてた。たぶん、方便。
その後も、前職でも現職でも、多くの人が辞めていくのをみてきました。みんな、なんで辞めたのかな。
ちなみに私の場合(自己弁護)
私:結婚考えてます。収入きついっす。どうにかなりませんか?
上司:どうにもならんね。転職すれば?だってうちはみんな安いじゃん?
私:せめて、残〇代はいくらかもらえませんか?ゼロってのはきついです。
上司:うん、だから仕事変えなよ。うちにいたんじゃ現状維持がせいぜいだよ。あと10年は。
私:短い間ですがお世話になりました。
上司:次の仕事頑張ってね(^^)
で、あのときから、感傷に浸ってる部分がないこともないんですが、
あのときは思ってなくて、シミズ君にはいえなくて、最近は思っているといえば思ってるんだけど、やっぱり多くのフィリピンの人たちにもいえなくて。この先言えるかな、って思うんですが。
なぜ、辞めるんですか?
そうですか、でも、もう少し一緒に仕事しませんか?
わたしは、あなたともうすこし一緒に仕事がしたいです。